あっ自分と同じような方がいました、こういうの性癖に近いんじゃないですかね?現実世界でも嫌なことがあったら愚痴って楽しいことして忘れるほうが健康的だと思うのですが、自分が納得いくまでストレス対象に執着して観察分析してしまいます。対象に対して働きかけることは一切しないのも同じです。何が自分の心をえぐったのか、深淵を覗きたいような気持ちですかね?あまりやりすぎると自分で自分をごまかしていた、コンプレックスみたいのものがあぶり出されてくるので確かに自傷行為に近いものかもしれません。ただこれをやることで、何故自分はこれが好きでこれが嫌いなのか、こだわりの本質みたいなものがブラッシュアップされていくので、別に誰にも迷惑をかけていない範囲内ならば自由にやってもいいんじゃないのと思って自分にそれを許しています。
「怖がりだけど怖い話が好きで見てしまう」という人がいますが あれは怖い物を見る前に「見たらきっと怖い、怖いはずだ」と自分の中で決め込み、 それを見た後で「ほらね、やっぱり怖かった」とある意味”安心したい”心理が働いていると 聞いたことがあります。 自分の予測と、行動後の結果が合致していると、それは安堵や快感となり 癖になってしまうのだそうです。 トピ主さんの行動で、 ・好きなキャラがでている作品は気になって、基本どのような内容でも一回は見てしまう ・そして、その中で地雷作品に出会っても、さらっと見て、ああ、そういう作品ですかと心の中でスルーするようにしているが たまに地雷作品でも世界観がしっかりしていたりして、ちゃんと書かれている作品だと、つい見てしまって傷を深くしてしまう ここの部分はまさにそうなのかな、と。 地雷なのだから自分が楽しい気持ちにはならないだろう、と予測しながら 読んだ後に「ほらやっぱり」となっている。 地雷を見て傷つくのが癖になっていると思います。 あと気になったのはこの部分です。 >>まだやってないけど、作品の二次創作(つまり二次創作の二次創作、三次創作)を 作って、その推しキャラをその作品での扱いから救済したり、それにより自分の心を救おうをしたり。 地雷を見て傷ついて、自分の中で正しい解釈を探そうとして三次創作をしたいとまで思っている。 つまり、「嫌いな地雷」を「自分の尺度で作り変えたい」=「嫌だと思っている事を正しくしたい」 のですから、それをどこかで楽しいと思っているのかもしれません。 それを考えている間は、別のストレスが入って来ませんし 考えている事は「好きな推しの事」ですから、心では辛いと思っていても脳にとってみれば 「いつもやっている事をきちんとできている」に過ぎません。 それはやはり快感のたぐいなのでしょう。 傍から見れば「嫌いなら見なければいい」となりますが、これは多分無理です。 主さんの行動パターンが決まってしまっているし、見るなと言っても見るのが人間です。 荒療治ですが、他人に迷惑をかけない程度にはどんどん地雷を見ていけばいいと思います。 誰かの創作に対して貶めたり、誰もが分かる形で否定するような作品を発表するのはいけませんが、 今主さんがしている事はおそらく誰も迷惑かかっていません。 描いた側からしたら「そんな無理して見なくていいんですよ」と言いたくなるような 主さんの行動も、勝手にやっているわけですから 作者側と読者側はそれぞれの権利内で自由に作品に接すればいいと思います。 今後何十年もそのカプに執着するとは考えにくいですし、それもある意味好きの形なのかなと思います。 あとできるとすれば、別のジャンルを見てみるとか、創作以外のことをしてみるとか 推しや地雷の事を自然と考えない時間を増やすのもいいと思います。 あまりに酷くなってきて、どうしても治したいならば 再度心療内科も検討された方がよろしいかと思います。 主さんのこういう行動はおそらく、創作関係だけにとどまっていないかと思うので。
私は原作見て自カプ(AB)しかあり得ないと思ってるのでABの相手違いは全部無理なんですが、トピ主さんの気持ち少しわかるような気がします…。 地雷カプは一切目に入れたくないし、自衛のためブロミュ駆使して、ウチはウチ、ヨソはヨソでお互いの領地は踏まないようにしよう、という思考ではありますが、すり抜けて地雷カプ作品を見てしまったときにその作品を何度も見てしまうことがあります。 Aはこんなことしないわ、BはこんなことAにしか言わないよ、原作見たのか?とか突っ込みどころ探して如何にABであるか納得して安心してスッキリしたいのかもしれません。ですが、その作品がだんだんとRTやいいね数などが伸びてるのを見ると凹んだりします…見なきゃ良いのに、気になっちゃうんですよね…。たぶんその傷で創作意欲燃やしたいってのもあります。もちろん自分の中でだけなので一方的に対抗してる感じですかね。
友人に似たタイプがいます。好きなキャラやCPのアンチ的書きこみをわざわざ探して見に行く、と言っていました。理由を尋ねると「好きなものをけなされるのはショックだけど、心を慣らして反論を考えるため」と言っていました。(実際に戦ってはいないようです) また、感情的なものは反論を考えられるけれど、一理ある意見には納得してしまい、それはしんどいとも言っていました。 私は見られない者は見ないようにする性分なので不思議な行為だと感じたのですが、トピ主さんの感覚も近しいものがあると思いました。心の防衛機構を鍛える予防措置的な感じなのかな…。
私も大地雷のような作品に出会うと、どうしても何度も見てしまいます。 しかし普通に体調悪くなってくるので、許容量を超えると絶対に見ないように措置をとり全く読まなくなります。 私の場合、地雷原となった作品を何度も見て向き合ってる時は何で嫌なのだろうとひたすら考えてますが不快感が邪魔して結論が出ません。 しかし、他の作品を見るよう心がけるようになってから地雷原と似た要素を見つけ、「ああ、だから嫌なのだろうな」と冷静に分析できます。 その積み重ねで自分なりの何故不快なのか?が明るみになっていきました。 自分で書いててちゃんと向き合ってるんだか向き合えてないんだかよく分かりませんが…。 地雷から逃げずに向き合えるトピ主さんの心身の健康をお祈り申し上げます。
私はむしろ作品で殴りたいと思っています。 ズーンとくるものを書きたい。 読んだ後ブロックされようがミュートされようがかまわないんです。 推しカプがほんとに好きで、こんな話書いた!という証を残したいです。
めっちゃわかります!! 私は推しのアンチスレもよく見に行きます。 地雷でも自分じゃ考えつかないような解釈があるかもしれないし、アンチでも、じゃあなぜそう思うかを考えると自分の解釈が深まります。 スルースキルが付いてればそんなに難しいことじゃないし、大学のゼミみたいな感覚です。
トビ主です。 たくさんのコメントをありがとうございます。 相談した悩みを持つ人は、私だけじゃなかったんですね。 心理解析に、見てもいいよ、見ても変じゃないよという許しや慰めなどの深く温かい内容ばかりで、とても ほっとしました。 おかげさまで少し執着が取れたような気がします。ほんとうにありがとうございました。