AI使えば?
私のジャンルに神がいますでも読んだら? あれ読んで分からなければ多分ずっと理解出来ないと思う トピ主の質問文機械みたいでこわい
>>2
ですよねー AIに聞いてもしっくりこなくて聞いてしまいました
>>3
読んでも理解できなかったので、違うスタンスの人だと思って興味を持つのをやめたほうがいいですよね それぞれ違う魅力があって評価0ってわけじゃないのに、比べてしまってつらいということになるのかわからなくて質問してしまいました 怖がらせてすみません
その出している例を自分事に当てはめても全くモチベーション落ちないの?? 評価ゼロじゃなくても多い人のを見ると、自分には反応してない人数っていうのがハッキリ可視化されるからだと思う。あるものよりないものを見てしまう人間の性だよね
逆に、好きな作品の好きな組み合わせが描(書)きたいというモチベーションだけなら、それを発表する意味って何ですか? 人に見えるところに作品を上げる時点で、程度の差はあれど、誰かに見てほしい、共感してもらいたい、好きになってほしいくらいのことは誰でも思うんじゃないでしょうか そこで誰にも必要とされてないようなら落ち込んで当然だと思います
一人で楽しめるのは一種の才能だからだよ。自分が幸せだと自覚するのに他者の存在を必要とする人がいるから。創作側になると見えなくなるし、熱血とか根性論で流されがちだけど、普通に生きていたら自分の基準だけで楽しいから幸せとか考えられないんだよ。楽しいけど社会から見てどうなんだろうって客観視が入るの。 そこで「あ、自分下手だな」って判断したら、普通に冷めて当然なんだよ。正気にもどっちゃうの。それが普通なんだよ。下手でも続けたらうまくなるなんて根性論だけで頑張れるのは特殊なんだよ。
自分は下手だけど数字とか評価とか関係なく続けられる側の人間だからトピ主の言い分わかるよ SNSは壁打ち無交流気味、pixivですらいいねブクマ0ザラ。たまに何かが刺さったのか、反応くれる人がいるくらい htrって言われたらそうだねーって思うだけで筆を折る理由にはならないんだよなあ でも今のジャンルでは書き手が自分だけで、萎えたというか飽きてきたからもういっか〜とは思いつつある 比較対象がいないと気持ちの上では楽だけど、あんまり楽しくないかも(いても楽しくなさそうだけど)
なんとなく息切れしてしまう…というか次の作品に取りかかりたいけど、頭がすっきりしないので浮かんでこない…って感じかな…ヘンリー・ダーガーみたく何十年も、しかも自作に執着持たないってレベルまで行くのはかなりまれな例だと思う
>>6
私自身は落ちないですね。 >自分には反応してない人数っていうのがハッキリ可視化されるからだと思う ありがとうございます。勉強になります。 熱心な読者数人からの感想メッセージよりも、特大バズ的なものの方が満足度が高いということですかね。 前者の方が嬉しいよねと思っているのですが、それだけで二次創作を楽しむのは難しいパターンもあるんですね。
>>7
共感してもらいたい、はそうですよね。それこそがわざわざ公の場に作品を置く理由だと私も思います。 「好きな組み合わせの話しを考えて描(書)く」←これが1番楽しい 「公の場にアップロードする、本を出す」←共感してもらえたり、同じような見方でその組み合わせを好きな人がいたら嬉しい 「反響がない」←もう描きたくない。 ここがわからず、質問しました。 逆に反響があったとしてもモチベーションにはならないので、どういった心境かと気になってます。わからないなら気にすんなよというのは本当にその通りなのですが。
>>8
>自分が幸せだと自覚するのに他者の存在を必要とする人がいるから。 文章うまいですね…。確かにその通りですね。 人と比べて落ち込めるタイプは向上心があっていくらでも上手くなりそうですが、その手前でしんどくなってやめたくなるという人も当たり前ですが一定数いますよね。
>>9
書き手自分のみで恐らく読み手も数人かほぼいないかのジャンルで飽きるまではやるっていうのはすごすぎます。 確かにそう言われると、全く人がいないところで自分がずっと描いていられるかと言われると自信ないですね。
なるほど。作品を公開して多くの反響があり、そうなればその作品が自分の中で完結する。という感じですかね。
共感してもらえたり、同じような見方でその組み合わせを好きな人がいたら嬉しい ↑これはわかるのに まったく共感されない、同じような見方でその組み合わせを好きな人がいないと寂しい、つらい ↑これはわからないの? 誰にも見られてない環境で自分だけのために描き続けるの、「自分の萌えを形にできて嬉しい」というメリットを「作画がめんどくさい」というデメリットが上回っちゃうんだよね 自分以外にも喜んでくれる人がいるってなれば頑張れることもある 一人暮らしだと自炊めんどくさいけど「おいしいね」って言ってくれる人がいれば頑張れたりするじゃん
人が筆が乗らなかったり、筆を置いたりするのは、明確な理由だけでなく「何だかちょっと疲れちゃった」ケースも多々あります。 「意欲だけを燃料にすればいい」が叶うのは創作動機や衝動が『強い』時。現実的には『弱まる』要素には事欠きません。創作スペック、アイデアの豊富さ、精神的余裕、私生活の繁忙度、界隈との相性や人間関係、性格、考え方、受け止め方等々……「意欲はブースト出来る」だけでなく「萎えるも自然の理」であるとも言えます。 従って「『二次創作をしたいという内発的動機づけ』さえあれば『評価=外発的動機』に左右されずに創作を楽しめるはずだ」「その真理を前にして悟れないのは何故か、何がネックになっているのか改めて知りたい」に対する個人的な解は次のとおりです。 【トピ主さんの挙げた①②③以前に、エネルギーやリソースを削られ、創作意欲が下降気味だったところ『自分の作品は見られていない』が最後のダメ押しになることもある】 それが無自覚に進行していくため「何だか疲れちゃった」となるわけです。 「だったら尚更意識して内発的動機づけのみ向き合えばいい」と仰るなら、主様の強メンタル・どロジカルさは最早ギフトかと。 恐らく主様は真理や正解があるならストレートにリーチしていくタイプ。それゆえに「何故なさぬのだ」と心の機微・共感性の優先順位が下がるのかな?という印象を受けました。 結論・シゴデキ属性で羨ましい限りですが、人文系・芸術系は機微に寄り添うものでもある。その点は含み置いて損はないのかなと…… 邪推・過言の連続にて失礼しました。 誰もが陥りやすい心理について考える機会をありがとうございました。
>>10
>>15 一応言っておくと自萌えも強いから、別に感想なくても生きていける ただそれは「感想いらない」とイコールではないし、栄養を与える方法が自作を読み返す、原作読み返す、感想読むのどれかであるという感じで 自萌えだからこそ他の選択肢もあるというか…栄養効率と言う点ではやはり他人の反応の方がいいと思う こまつな生でかじるのと、スムージーにするのでは後者の方がいいというような感じ
創作は好きなのですが、 ・界隈の他の人より反応が少ない ・狭い村で、界隈の目立つ人が私以外の作品にはRP後エアリプ感想つけてるのに私にはいいねのみなど明らかな対応の差を受ける(これは私の作品がその方の好みでなかったから仕方ないと思います。その方からすれば、好きな作品に素直に反応していたら結果私だけ感想なし対応になったのでしょう) このような状態で、需要ないのにTLに流す必要あるかな〜と考えるようになりました。 それで今は誰とも繋がってない垢を作ってそこに流しています。 自分は「投稿後反応を気にする(反応少なくて凹む)」この点がストレスだったので、誰からもフォローされてない垢で反応を気にせず投稿するスタイルの方が快適でした。 トピ文の1〜3の中では、あえていうなら3が近いです。チヤホヤまでいかずとも平均いいねくらい欲しかったなぁ。 ちなみに今はフォロワー0なので反応も0ですが、そのことに病んではいません。フォロワーがいるのに反応少の状態が自分は嫌でした。 それなら描くだけにとどめてどこにも投稿しなきゃいいじゃんって話ですが、描いたからには外部に出したいという欲求があり(これも承認欲求?)、そこを満たすためにフォロワー0垢に投稿しています。
②かなあ 解釈ド一致の大手がいて、まさに描きたかったものを描かれていてそれでもういいじゃんってなった 同カプでは珍しい解釈なので尚更
8の方のコメントが答えとしてはすごく適格だと思う それに加えて 自分の場合だと、単純に自分では上手に描けた!と思ってても、他の人との評価を比べてみて、自作を読み直すと自作の拙さに気付いてしまって、テンション下がったり恥ずかしくなって創作意欲が薄れる事はある 自作にめちゃくちゃ自信があって自分で大満足している場合は、そこまで恥ずかしくはならないけど、評価低いと「え~、なんで~?」と思える時もあるわ
自分が良い!と思って描いたものに共感が得られなかったら流石にこれが萌える!と思って描いてもモチベ下がるよ そのうえ周りに自分と同じキャラやカプ推してる人がチヤホヤされたり共感得てるのが見えたら特にね あと狭い界隈だと作品のクオリティや共感とかではなく交流の有無によって反応する人しない人が嫌でも視界に入るから
料理に置き換えたたとえは上手いなーと思った 一人で凝った手料理つくって一人で楽しめる人がいる一方、 その腕を磨いて誰かに食べさせて喜ばれたい、褒められたい、自分のためだけには作る気しない。って人がいるのも確か。 頑張って作ったのに、うまいの一言もなかったり一瞥するだけで食べてもらえなかったらもう料理したくない…となるかも。 そんな人に対して美味しく作れて、自分が食べられたら満足じゃないんですか?というのは感覚が掛け違えてるよね