イベント参加を見据えた支部専のSNS運用について。
支部専で活動歴1年程度の二次創作字書きです。月1で作品投稿してきましたが、1年経っても熱が冷めないため今秋のイベント参加を目標にプロットを練っています。 SNSは活動開始時に登録後放置し続けているX(フォロー・フォロワー・呟き0で支部にも未接続)があるのみで、支部内でのコメントやメッセージのやり取り以外に交流はほぼありません。(交流の時間があるなら創作に充てたいタイプです) しかしせっかく本を作るのであれば1人でも多くの人の目に触れるようにしたいなと、SNS運用を考えています。 検討中の選択肢は下記二択です。 ① 放置中のXを広報宣伝用にする ② X以外のSNS(ブルスカなど?)をイベントに合わせて新規開設する 個人的には①かなと思っているのですが、フォロワー0のXがどのくらい役に立つのか、またここ最近のXがかなり見辛いのでうまく情報が届けられるのか不安です。 このような場合の最善の選択肢として、①、②かそれとも他により良い方法があるのか……ご助言いただけますと大変ありがたいです。よろしくお願い致します。
読みたい話は全部読んだし楽しんだけど私が読みたいのは細かく言えばこういう話なんだよ!で書いて、私の癒し時間を提供してくれていた作品たちの末席にならべば、いつか誰かに癒す時間与えられるかな、与えられたらいいな。で公開してる
>自分が癒された作品たちの末席にならべば、いつか誰かに癒す時間与えられるかな、与えられたらいいな。 この発想はありませんでした。 自分にない見解が聞けて嬉しいです。ありがとうございます。 誰かから受けたものを次の誰かに渡すというのはとても素敵なことだと思います。
>ビジネスでいうB2BやB2C、C2C BtoB、BtoC、CtoC のこと言ってるの?
そうです。 グローバルビジネス・IT業界ではB2BやB2C、C2Cと表記することが多いためそちらに寄りました。 この質問の意図は認識の確認とみなしていいでしょうか?
オフ優先の完全壁打ちなので、SNSに流すのは消費されていいもの(埋もれていい)、いつでも消せるし、あげてしまったらどうでもいいもの。自己整理もあまりない。 オフは訂正も削除も出来ないから自己整理なんかはオフ。 交流も承認欲求も面倒だし、評価軸が他人依存じゃないから心底どうでもいい。 一次、二次創作、両方やってるからカクヨムやpixivならBtoCよりなので3かもしれないけどSNSではそれはない。
評価軸が完全に内部にある方なのだと感じました。 もし、自分が回答者様の立場なら、SNSでの行動を3の延長とみなされることを煩わしく感じてしまうのではないかと思います。 回答を拝読して、割り切れる強さが必要なのだと感じました。ありがとうございます。
1と2。 推しと推しカプを描くこと自体が楽しい、自分の理想に近いものが描けるようになれば嬉しい=客観的に見れないと上手くならないので記録としておいておくという理由で1。 萌え語りがしたいし同意されると楽しい、同志の萌え語りも聞きたいという理由で2。 オフ活するなら3も入ってくるかな。情報収集も含めて。
作者ご自身が意図を「場」によって使い分けているのですから、閲覧者が「見てあげている」と一括りにするのは無理があると改めて感じました。 そうは言っても、意図を毎回共有することは難しいし、押し付けることもできないので、バランスの取り方が難しいと思います。 回答ありがとうございます。
目的は同志との交流。「見てあげてる」という態度の人には「見せてやってんだよ」と思うし、「見せて頂いてる」という態度の人には「見て頂いてる」と思う。
私は「作者には意図があり、閲覧者には解釈がある」という一方向で見てしまっていました。 バランスの取り方や割り切りの心情に傾いていましたが、こちらの回答で上下関係は作者の意図ではなく、閲覧者の「見てあげている」態度で生まれる動的なものだと気づけました。 他者を自分の意図に引き込むのではなく、都度合わせるというのはとても成熟したスタンスだと思います。 回答ありがとうございます。
推しキャラはこう描くんだよ!!見とけ! って感じで載せてます
自身の推しへの愛やその主張の宣言という意図でしょうか。 これも一つの自己完結のようで逞しいですね。 こちらが思い浮かんだ1〜4の見解のどれでもあってどれでもない意図を感じて強さと新鮮さを感じます。
制作なんて見てもらいたくて上げてるんやし見る側のほうが偉いと思うけどな… いなくていいならなんのためpixivに?閲覧0でいいの?ならノートでいいやんになる 見てあげてるんですよこちらは
「見てあげている」から「見る側のほうが偉い」というご意見を頂き貴重だと思います。 ただ、私の質問は「どういう意図で上げていますか」というもので、どちらが偉いかという議論を望んだわけではありません。 >いなくていいならなんのためpixivに?閲覧0でいいの?ならノートでいいやん こちらのコメントは質問で提示した1.2の意図の可能性と、これまでの回答者様の存在を意図的に無視しているように感じます。 私は建設的な議論を望むと申し上げました。 参加するならその意図を汲み、できないのであれば書き込みはご遠慮ください。
見せてやってるというよりよかったら見ていってねって感じで描いてる
回答ありがとうございます。 上下関係による消費もなく、ただ置いておくという最低限の接触ーという意味では1番目の回答者様と似ている部分があるかもしれないと個人的に感じます。 他者を意識しすぎることなく意識しつつ、自分を保つというのは簡単なように思えて案外難しいのではないかと思います。
二次創作 1.あるいは日記、記録的な意図。 2.趣味の延長線上で、同じものが好きな同志と話してみたいという呼びかけ この辺が近いかな 他の人に混じって記録を残すことでより存在を強く感じられる 同じ趣味を持つ人から共感が聞けたらうれしい ただしオンラインで同じ趣味の話をしてみたいだけでオフやプライベートの深い交流は求めていない 「見てくれた」「見させてくれた」くらいのカジュアルな関係性が理想です
深い交流は求めない・カジュアルな関係性が理想というのは、個人的にSNS環境ではベストな距離感といいますか線引きだと感じます。 個人的な見解ですが、二次創作界隈は独自の閉鎖性や排他性がwebの匿名性と結びついて、過剰な交流から距離感が曖昧になる場面を見ることがあるように思います。 ですので、回答者様のような姿勢は同志交流を美化も依存もしすぎない、理想の形だと思います。 その姿勢の方が現実を生きている感じがします。 回答ありがとうございます。
どういう意図でって描きたいもの描いてそれ出すだけだから誰か見るかもなくらい。 見る人居るかもなーくらいなので見る人に対していちいち出してやってるとか見てもらってるみたいなのはない トピ主はすごいまじめだな
>見る人居るかもなーくらいなので見る人に対していちいち出してやってるとか見てもらってるみたいなのはない この部分、とても共感します。そこを意識するとどんどん自分の行動の幅を制限することになるので。 ですが、質問の冒頭に触れた上下関係からの応酬を見て実際どうなのかと思い、今回の質問を立てさせていただきました。 まじめ…というか本当に上下関係が全てなのかと知りたくなったという、自身の価値観の確認も含めたとても個人的な事情です。 面倒臭いとスルーすることもできたのに、お付き合いくださりありがとうございます。
4混じりの2かな 自分がやるのが二次創作だから公式のここが好きって部分を描きたくて描いてるし、それで反応してもらえたらいいよねくらいでやってる ただ反応がいっぱい欲しいと思うこともあるから完全に承認欲求がないわけではないかなって…
こちらの回答を拝見して、質問で提示した「4.承認欲求・自己顕示欲を満たすため(いいねさえ貰えたらなんでもいい)」という書き方は極端だったかもしれないと反省しました。 2の呼びかけもまずは受け手が「この人に共感する、話してみたい」という承認があって交流に繋がっていくと思いますので。 相手を認め受け入れて人間関係を良くするための承認、交流に重きを置く承認欲求はむしろ健全だと思います。
特に意図は表記してない。改めて考えると一番大きいのは記録かなあ。 記録って言っても、単に作品を保存したいというより「自分が何を好きで、どう創作を楽しんでいたか」を後から思い出せるようにしておきたい感覚。仕事で忙しくなったり創作から少し離れると、「自分って何が好きで、どういう時に楽しく描いてたっけ?」って感覚が薄くなることがある。その時に自分の投稿履歴を見ると、「ああ、自分こういうところに萌えてたな」「こういうテンションで描いてたな」って記憶や感覚が戻ってくる。記憶のトリガーにしてるって感じかな。 だからSNSは発表の場というより、自分にとっては創作の感覚を思い出すためのログに近い。自分がどう創作を楽しんでいるのかってのは、やっぱ人の作品見て思い出せるものじゃないから自分の作品あげるしかないよね。 あとは同じ作品が好きな人が見つかったら嬉しいし、反応や交流があればもちろん嬉しい、くらい。だからスタンスとしては厳選交流になってる。
「記憶のトリガー」という意見はとても深いと感じます。 ただの「作品の保存」ではなく、自分のためのタイムカプセルをwebに埋めているような感覚で上下関係とは完全に無縁な自己完結の形に思えて美しいと思いました。 厳選交流も自分にも相手にも無理のない範囲でされている印象があります。 いいですね。ガツガツしてない、余裕のある感じがします。
1.2の感覚、あとは消費されても構わないものだけ
「構わない」という所がドライとも感じられますが、それ以上に余裕を感じます。
元々完全に自分用1で始めたけど、長くやっていくにつれて感想や情報などをいただき薄っすら交流することが増え、結果的に1(7割)2(3割)くらいの比率に落ち着いた 傍目には厳選交流2に見えるかもしれない
時間と共に位置付けや意識が変わるのは自然のことだと思います。 拝見して、「それはそう、むしろ時間が経っても1のスタンスのまま貫いていたら、交流したいと思っているかもしれない相手を無碍に扱うことになるな」というのが率直な感想です。 その流れでできた交流はとても楽しそうに思います。いいですね。
二次創作壁打ち 単純に絵や漫画描くの好きだけど、一人で描いてると独りよがりな作品になりそうだからSNSにアップしてる 反応を見るとウケるウケないが分かるので① 自分の解釈変えるとまではいかなくとも、人に伝わるにはどう描けばいいのか?は分かる気がする でもいいねは多いほど嬉しいので④も含んでるのかも 創作やる前は長らくROMやってたけど、見る側としては「見てやってる」っていう気持ちより「今日も創作流してくれてありがとうございます」って気持ちで見てたよ
基本的に1のスタンスで、自身のブラッシュアップもといアップデートの意図で4を意識しているという印象を受けました。 独りよがりになりそうだからSNSに流すという部分にとても共感します。 閲覧者側の視点も同時に教えてくださりありがとうございます。 5の回答者様の回答で見る側の態度によって位置付けが変わると気づけて、こちらの回答がその裏付けになったように感じます。 ちょっと上下関係という見解に囚われすぎていたかもしれないという反省も含めて貴重なご意見ありがとうございます。
二次創作している壁打ち字書きです。 1、あと3と4がうっすらあるくらい。あわよくば、くらいの気持ちです。 SNSに載せてはいるけどほとんど後で自分で見返す用で、数千文字くらいの短い作品をSNS、長編を支部という感じで使い分けています。 今いるジャンルではこの運用ですが、ジャンルを移動したり誰かと交流したい欲求が出てきたらまた変わると思います。 そういう気軽さで趣味を楽しんでいますので、意図を明確に載せたりはしていません。 趣味なのでどちらかが上で下というのも考えていません。今はオンで活動してますが以前はコミケなどにも出ていたので、サークルも一般も同じ参加者。創作する側も見る側も同じオタク、と考えています。
>「サークルも一般も同じ参加者。創作する側も見る側も同じオタク」 この視点、とても納得します。 確かに、売り手・買い手とは言わず一般参加・サークル参加と言いますので。上下関係ではなく同じ場にいる者としての意識ですね。 こちらの回答を拝見して改めて金銭が絡むからビジネス色を帯びてしまうのだと感じました。 ジャンル移動を含む意識の移り変わりで在り方が変わる、その前提で意図を明確にしないというのはとても風通しの良いスタンスだと参考になります。 根本は趣味ですから自らを縛る必要はないと思います。回答ありがとうございます。
どれに当てはまるのかわからないし高尚な理由なんてなかった 露出狂みたいな感覚 俺の〇〇〇見てみ~?みたいな もちろん閲覧数なんて0で良い、というか本当は0かほとんど無い方が良かった ネットに自分の恥部(作品)を晒すみたいなドキドキ感 「裸で外歩きまーす」みたいな、その手の変態は誰もいなくても興奮するじゃないですか むしろ薄暗い闇の中で自分の絵を晒すのが良いみたいな けど意外と評価されて、この期待に答えるために作り続けたほうが良いのか!?と責任を感じるようになって、いいねが増えるたびに怖くなってやめてしまった たぶん絵を露出している人間の中で0が良かったと思うの自分だけだと思う わがままだけど、良いねとかブクマとかあるだけ重責を感じるからいらなかったし(お金だったら欲しいけど) 次はいいねの表示を消してからpixivを始めるつもり
なんか文が痛い
改めて自分の想定は全然足りてなかった、聞いてよかったと思います。 興味深い視点でちょっとしたアハ体験です。 (読み取りが誤っていたら訂正してくださいね…) 例として出された露出狂の件、全てが該当するわけではありませんが、そういった行為をしながら「何が起こるか、どういった反応をされるか」とあれこれ想像することに興奮や快楽を見出すので、実際に反応が起こったら急に冷めて賢者モードに入るタイプもいるようです。 ご回答内容はこれに通じるものがあるのかな、と感じました。 もしそうなら、現実に固定されたら逃げる所を期待に応えた方がいいのかと責任を感じられるあたり、誠実な方なのだろうと勝手ながら思ってしまいました。 誠実な人であるほど周囲の期待を過度に受け止めて疲弊するという話をよく聞きますので。 ーと憶測で語ってしまい申し訳ありません。 ともあれ、想像に幅を持たせてくださる回答をありがとうございます。
そう感じたんですね 私はうまいことを言う、と思いました
質問主の言っていること自体に疑問があります 二次創作を公開し閲覧するというのは、 Aさんの「○○を描きたい」という欲と Bさんの「○○を見たい」という欲が重なった結果だと思っています それぞれの欲に上下があるとは思えません Aさんの欲を「描いた○○を見て欲しい」に置き換えたとしても、Bさんの欲には関係ないのでBさん優位にはならないと思います。これは質問主の言う4に当たると思います 質問主はコンビニでおにぎりを買う時も「買ってあげている」という意識があるのでしょうか
「描きたい欲」と「見たい欲」が重なって成立している、という整理はとても納得感がありました。 上下ではなく欲求の一致、という見方は自分にはなかった視点です。 その上で、少し認識の齟齬があるように感じたので整理させていただきます。 今回の質問を要約すると「消費活動に見られる上下関係を意識していない創作者が、一方的にその枠にはめられて「見てあげてる」と言われたら違和感はない?そもそもどういう意図で上げているの?」という内容になります。 今回の質問で知りたかったのは、「上下関係が成立するか」そのものより、「創作者本人はどういう意図で投稿しているのか」です。 冒頭の「見てあげている」「見てもらっている」は、そういう見解を見かけたので質問の入口として引用したもので、私自身の主張として提示したわけではありません。 また、おにぎりの例えについては、「消費行動全般に上下意識を持つか」という別論点に広がるように感じました。 今回は創作者側の投稿意図について伺いたかったため、そちらを中心にお聞きできればありがたいです。 回答ありがとうございました。
基本的には2 自分1人では抱えきれない萌えを出力して、みなどう思う?いいでしょ? これが1番で、好き〜・わかる(いいね)と言って欲しい 承認欲求ってこの絵が上手いとか技術的な意味合いが多い気がするのでそれはないかな 海外ROMが多いジャンルなのでRT回りやすいけど日本人の方が嬉しい 投稿は漫画が多いです、理解して同意して欲しい 手当たり次第に推しキャラをリクエストしてる人は消費されてるではなくていいように使われてる AIと同じ扱いな気がする もちろんその後たくさんのコメントをくれるなら話は別かな ちゃんと私に描いて欲しかったのだと思うから 正直な話マイナーの時は見て下さってありがとう! 買ってくれてありがとうと思うし 旬ジャンルで何もしなくても評価付いて本も売れると確実な需要を感じるのでちょっと与えてやってるになってしまうかも 需要と供給の関係から変わってしまう事もあるよね
>需要と供給の関係から変わってしまう事もあるよね ありますね、むしろあるのが自然だと思います。 改めて、その変わるタイミングが人それぞれ、状況によってバラバラだから、認識のズレが起こって諍いに繋がるのかもしれない、まで思い至りました。 >手当たり次第に推しキャラをリクエストしてる人は消費されてるではなくていいように使われてるAIと同じ扱いな気がする これ、沁みますね…刺さります。 「あなただから見たい」という人間的なリスペクト(コメントなど)があるなら、それは消費ではなく対話になる。「消費」と「利用」の線引き所を教えていただけたように感じます。 ご回答ありがとうございます。
2 基本的にはどうすかこれ?という姿勢 見る分にはいいねこれって感じ
おっしゃる通り、その一言に尽きますね このライトさがSNS交流の楽しさなのだと思います。
強いて言うなら1寄りかな、日記。 深い意味は無くて「描いたから載せよう」ただそれだけ 変な人に絡まれたら知りませーん勝手にしてくださーいと気軽に消すし 小説や絵画で「作者の意図を考えましょう」とか出てくるけど、自分みたいなパターンもいるんじゃないかな
「変な人に絡まれたら気軽に消す」——その気軽さがSNSという場ならではの使い方なのかもしれないと思います。 例で出された文章題は国語テストの常連ですね。改めて言われてみると、ありのままの内容を読むだけで作者の意図まで読み取る意識はなく毎回困っていたのを思い出しました。 それなのに、意図があることを前提にしていた自分が少し恥ずかしいです。 おっしゃる通り「意図なし」もまた一つの在り方だと思います。
二次創作(イラスト・漫画・小説・考察)をするアカウントです。 自身もどのようにSNSアカウントを運用するか悩んでいます。 ①SNSに作品を上げる意図 1(8割)※1 4(2割)※2 ※1 絵や考察ツイ問わず、美術館の壁やギャラリーに作品を並べている感覚です。 作品が完成したら、キャプションをつけて飾るところまでやりたいし、時々自分のツイートを遡って「この辺りの感想ツイの並び、表現が的確で美しいな〜、今の自分が見ても最高に共感できるな〜」と自画自賛します。 ※2 承認欲求・自己顕示欲の中でも、「(作品やこの関係性の魅力を)わかる人にいいねしてもらいたい」という気持ちがあります。 誰かに引用先で深く共感してもらった10♡と、たくさんの人に見てもらえた1000♡はどちらも同じように嬉しく感じます(ただ、他の人の二次創作を見るのは苦手なので、自分の解釈に共感してもらいたい/自分の感度やセンスを褒めてほしいという傲慢な気持ちがあるのだと思います。平時は2割、不安定時は6割くらいがこの気持ちです)。 ②その意図をプロフィールなどで明確にしているか 明記していません。 呟くジャンルと、好きな作品を布教・発信する意思を示しています(例「(キャラクター名)が好きなアカウントです。(作品名)を観てください」) これは「自分はこの作品が好きで、その気持ちを自己完結(記録)するためにアカウント運用している」と自分に思わせるため、自己顕示欲に負けないためです。作品が好きなら作者にファンレターを書くだけでもいいのに、わざわざ創作をするのは自分が人に見てもらいたいからだという縛りを常に持ちたいと思っています。 自分のペースで記録・発信をしたい思いが大きいのですが、①の通り自己顕示欲に振り回されそうになる時があります(最新話に関するツイートをしなければならないのではないか?交流した方がいいねがもらえるのではないか?低浮上だと見てもらえなくなるのではないか?など)。
丁寧かつ、ご自身の内面を極めて深く客観的に分析された回答をいただき、本当にありがとうございます。 ①SNSアップを美術館・ギャラリーに見立てる例えを伺い、自由観覧の個展みたいなものを連想して例えが素敵とときめきました。 ご自身の作品や言葉の並びを美しいと思える(自画自賛できる)のは、それだけ真摯に創作に向き合っておられるのだろうと思います。 回答者様が「傲慢」とお考えの部分も、視点を変えればそれだけ強いこだわりとプライドをもって作品に取り組んでいるとも受け取れます。 モチベーションによってそのスタンスが揺れるというのも自然だと思います。人間ですので。 ②こちらについては新しい視点でした。 この質問を立てた時の自分は外部からの無用な刺激から逃れたい、予防線を張りたいという意識に囚われていたように思います。 自分の方向性を自分で確認するため、あるいは自分を戒めるために、よく見える所で宣言しておくという、内部への呼びかけはとてもストイックな印象を受けます。 自分にない視点のお話を聞けるととても刺激になります。ありがとうございます。 最後の揺らぎにとても共感します。 でも、この揺らぎ、人によっては「自己顕示欲」と言うかもしれませんが、「交流欲」と言えるとも思います。 発信者の意識、受信者の意識でどこまでも形が変わっていくのは面白い反面怖いと思いました。
上手く言えないけど、絵や漫画を描くって趣味を消費じゃなくて生産的にしたいって気持ちかな ただ一人で描くだけだと楽しい!ってだけだけど、逆に言えば得られるのはそれだけ(これで満足出来る人もいるしそれは否定しない)だし、いくら楽しくても労力と時間を消費するだけじゃ飽きてしまう ネットに上げれば自分の描いたものに共感を貰える、同じものが好きな友人ができる、承認欲求を満たせる、同人誌の頒布数UPや仕事に繋がったりと沢山のメリットがあって、消費した労力や時間やお金に対してリターンがあるから続けやすい 結論は1~4全て、かつ趣味を楽しく長く続けるためにネットに上げているって感じです
ご返信が遅くなりすみません。 回答者様のご回答内容を受けて1〜4は何を目指すかによって線で繋がるものだと感じました。 楽しさだけでは持続しない、何らかの還元があるから続けられる、SNSは継続のための計算や戦略、そこから何か別な形に発展したらなら、それまでのものは「投資」だったということになる、と受け取りました。 取り組み方によっては全ての動機が矛盾なく地続きになるという見解に深く納得します。 ありがとうございます。 (投資という言葉はドライで冷たい印象を与えかねませんが、ここでは目的のための目標というニュアンスで使用させていただきます。)
金銭絡ませるつもりないから1,2,4かな。基本方針として「世間に公表していない作品は、存在していないのと同じ」というのがある。せめて存在はしてほしいから上げる。 創作に限らず、 興味があるものは「見せてもらってる」 興味がないものは「見てあげてる」 だと思った。後者は無理やり見せられたとか、そんな感じ…
ご返信遅くなりすみません。 「世間に公表していない作品は、存在していないのと同じ」という言葉に創作者としての強い意志を感じます。 見る側の興味の有無で受け取り方が180度変わるという視点、なにか核心を突かれたように感じます。 だからこそ前提のない議論は荒れるのだと、最初の質問で触れたことへの答えを貰えたように思います。 ありがとうございます。
ほぼ2のみ この質問者さんみたいなタイプとか、交流して面白い人を引っ掛けるために、理想の推しを描くって過程でできたモノを再利用してる感じ 日常を生きてるだけでは出会えない、私が価値があると思える数万分の一の人を釣り上げたい その過程で売上や数字とか信者とかが付くけど失って惜しいものでは全然ないのでそこはあっさり捨てがち 創造性において相互交流は切り捨てられないと思うので自らの姿勢が褒められないのは判るのでSNSでは出さないかな その上で建前上、見ていただいてありがとうございますとは言うんだけとね 実際ありがたいですよ、その先に誰かいるかも知れないので その誰かからの刺激で理想の推しの出力精度も上がるかもですし
ご返信が遅くなりすみません。 意図について私は質問項目で「呼びかけ」といいましたが、回答者様は「引っ掛け・釣り上げたい」と仰いました。 当たり障りなく言っているだけで結果として求めていることは同じです。 ですので、こちらについては、狭く深く付き合いうタイプだと感じております。(実際にこれまでの回答者様で似た付き合い方をされている方がおられます) 回答者様の交流への考え方は、一部では選民・選別からのウエメセだと見なされる可能性があるとして、「褒められない」と言われたのだと察します。 その考えは理解できますが、否定するのは違うと個人的に思います。 スタンス次第で人との付き合い方も変わるというそれだけの話だと思いますので。 相互で刺激しあって出力精度が上がるーいいですね、切磋琢磨。 刺激の質が良ければ良いほど、精度も上がるというのは理想です。 クリエイターの本懐を聞かせていただいた気分です。憧れます。
大枠でとらえれば2なんだろうけど、ぶっちゃけそこまであれこれ考えて載せたことはないや 見てたら楽しそうだし、やってみたら楽しいし、トラブルに巻き込まれたこともないから続けてるだけ その楽しいお祭りに参加する手段がネットに作品をのっけるっていうのだった 私はコロナで暇だったから始めただけで、自作品を消費されている意識もなければ消費している認識もほとんどない 街を歩いてたらたまたま見かけたお店のマネキンの服が良さそうでふらっとお店に入って、いいじゃ~んって手に取って店員さんと話して買ってる感じ あっちからリアクションがあれば個として意識はするけど、どこまでいっても自分のためにやってるからなぁ 見てもらってるとか見てやってるとか、そんなに創作って苦労してやったり触れるものなんだ?ってむしろ心配になる 娯楽に心身を消耗しすぎてて
創作も購買も偶然の出会いとして捉えられている印象を受けました。 実際そうだと思います。 偶然出会ったそれに興味を持つか持たないか、持ったら何かリアクションを起こすか、人として付き合うか、モノとして消費するか、それぞれにラベルを貼ろうとするから混乱するのであって、根本はもっと単純な気分と出会いなのだと思います。 >見てもらってるとか見てやってるとか、そんなに創作って苦労してやったり触れるものなんだ?ってむしろ心配になる 娯楽に心身を消耗しすぎてて 個人的にはもっと気軽なものでいいと思うのです。 趣味であるなら尚のこと。 ただ、同じ環境にそれぞれの思惑を持って人々が混在しているから多少なり考えなければならなくなり、そして消耗していってしまうのだと思います。
二次創作・オン専。1、2、4が当てはまるかな。 原作から妄想したものを形にして伝えたくて投下する感じ。形にするからには似た嗜好の人に見てもらいたい、できれば共感が欲しい。いいねやシェアしてもらえると更に嬉しい。感想もらえると最高に嬉しい。 キャパが足りず交流頑張ると創作意欲まで疲弊しやすいと過去ジャンルで思い知った経験から好きを形にするのが最優先、交流目的で創作してるわけではないよという意図は示してる。原作と創作を通じて時々誰かとやりとりできれば満足する。PRは今の活動形態ではそう必要ではないから、相互になることを重視しない。 高尚だと思われてるかもしれないけど刺さる人には刺さるを実現できてるし、「見てあげている」意識の層は寄せ付けないだろうから気楽。ガチガチ思考ながら、俺の歌を聴けー!というより「良かったら見て行ってね!」の気持ちではある。
ご返信が遅くなりすみません。 過去のご経験から導き出した「好きを最優先にするための自衛と線引き」のお話、非常に説得力があります。 質問で「プロフィール等で意図を明示するべきか」と問いましたが、回答者様のように「交流目的ではない」と示しておくことは、単なる自己主張ではなく自他共に有効なフィルター(魔除け)になるのだと感じます。 ガチガチの思考と仰いつつも、根底にあるのが交流を楽しもうとされているからこそ、刺さる人には刺さる空間が作れているのだと思います。 SNS長く楽しむためには必須のスタンスだと思います。ありがとうございます。
同士がいたら嬉しいかなー、な小規模ジャンル民 ブクマ数もフォロワも片手以内 1と2の間くらい ただほんと小規模なので見たい人がいるならネットに上げるけどおらんなら別にいいかな、くらいの感じ 見てくれる人には感謝するしネットに上げるのも見てくれる人がいるからなので、上げるモチベとしては確かに閲覧者が上位にはあるんだけどおらんなら上げないだけ 要るならあるよ、くらいの感じ
ご返信が遅くなりすみません。 「要るならあるよ」というスタンス——この最小限の表明に創作者の自律性を感じます。 ネットに上げるモチベーションに「見てくれる人」を置きつつも、誰もいなければ上げないという執着のなさは、ある意味最も健全な創作の在り方のように思えます。 閲覧者を上に置きつつも、それに振り回されない。小規模だからこそ可能なのかもしれませんが、気分と出会いの理想で形の一つだと感じます。 ありがとうございます
ほぼvtuberの絵しか上げないから近いのは2かな。同じ視聴者からのいいねや感想は嬉しいから4も当てはまるかも。 でも一番の理由はv本人の応援だし、FAタグをつけたらシャドウバンとかじゃない限り本人がいいねしてくれるしその時が一番嬉しい。こっちも届く前提で描いてるからほぼファンレターみたいなものだね。FAタグを盛り上げたいのとワンチャンサムネとかに使ってもらえたらいいなという下心やささやかな素材提供の意図もある。 「見てくれてありがとう」の気持ちは持っててその中には「これからも一緒に応援していこうね」も含まれてる。基本的に推しのため、次いでFAを見たいファンのために上げてるから「見てやってる」派はお呼びではないな。
個人的に「見てくれてありがとう」の中に「これからも一緒に応援していこうね」というメッセージが含まれている所に、同じ推しを応援する同志として巻き込んでいると感じて胸熱です。 このスタンスの前では、「見てやってる」という態度は確かにお呼びではないですね。 下心やささやかな素材提供の意図が4に関連づいているということでしょうか。 ご回答内容を拝読して、FAでもって推しを応援して(3)、それに4が紐づいていると個人的に解釈しました。 もしそうであれば、前に出ているのは推し(vtuber)ですので、自己顕示欲からの承認欲求とは少し違うように感じます。 …といいますか、私自身、自己顕示欲・承認欲求に対して一つの側面しか見ていなかっただけかもしれません。
演じたい人や歌いたい人がいた時にそれを見てくれる人がいるから演劇やコンサートが成り立ってんのと同じく絵も同じだと思う 個人的には見てくれる人がいないと成り立たない部分がある、だから実際見てもらいたいからアップしている 枯渇した承認欲求を満たそうとする事や数字をゲームのように追うことの無意味さには辟易してそっちには全く興味がない、興味がなくてもやっぱり人に届いているという実感は欲しいらしい 絵はただ単に好きだから描きそれが誰かに届くと嬉しいっていう理由、数とかは関係なくて1とかでも普通に嬉しい。プロフィールには書いてない