そ、そりゃあそうなんじゃないか…?頑張ればみんながピカソとかモネみたいになれるのであれば、みんな頑張っているのでは…?みんなオリンピック選手なのでは…? スポーツでも勉強でも小説でも音楽でも、「頑張ればいけるライン」と「才能が必要なライン」はあるんじゃないかなと思う 頑張ればいけるラインを超えた先でどれだけ進めるかは、人それぞれなんじゃないかなあ 同じ人間が1人としていない、そしてどれだけ頑張ったか、が可視化されない以上、頑張ればいけるラインが一体どこなのかわからないし、自分に才能があるかもわからないところが難しいところだなあと思います。ある一つの道を突き進んで、才能がなかったっぽいから分岐点まで戻る、みたいなことができないからなあ…
私も物心ついたときから絵が好きで描いてきて、いつか上手くなるはずだと思っていました。 好きだから楽しいから描いてこれたのです。それなりに評価ももらいました。 でも、ある時ふと気づきました。決して下手ではないにしろ何十年と描いてきたわりには、私って上手くないよな…って。 トピ主さんがおっしゃる >ただその伸び代は同じ努力の質でも人によって大きく異なるのではないか? ということに、恥ずかしながら今さら気づいたのです。 上手い人、才能のある人は短時間で伸びますよね。私は時間をかけたからここまで上手くなっただけで、決して才能があるわけではないんだなって気づきました。 だからどうしたって話ですけどね。 自分の理想には永遠に到達できないんじゃないかなって思いますね。
トピ主さんの中でどうなったら理想なんでしょうか?例えば今は絵を投稿すれば1万いいね貰えているけど理想の絵を描ける人は10万いいねを平気で貰えているとか。またはこういう漫画家やイラストレーターのようなタッチで描きたいと思ってるけどセンスの問題で及ばないとか。 トピ主さんにとって理想に届いている人の条件がこちらには分からないので何を言えばいいか分かりかねる部分があります。称賛されている人に羨ましさを感じるのか、ただひたすらに自分の達成感の問題なのか。 それでも、凡人ながらコツコツ続けていった人が限界突破への道を見つけられると思います。理想に達したとしてもきっとずっと求め続けると思います。
これ、才能部分がモノ言うんだよなぁ 大多数が凡人でその中でできるだけ良くなるようにがんばる 何に対しても早めに自分の身の丈を知って身の丈の中で幸せを見つけるもんなんだよ じゃないと無駄に病むだけだよ若いとコレがわからないから変な方向に無駄に回り道するんだよなぁ 遅咲きって言葉が特別視されるくらい才能の遅咲きって稀なんだよ だいたいは絵なら絵を描き始めた時から才能ある人間は最初から注目される。上手くなくても注目されてるからわかるんだよね 荒削りでも伸びてる作品描いてる人、そういうひとが才能部分で凡人より伸びる可能性がある人
自分はそんなストイックに絵を描いていませんが、単純に年齢重ねたら上手くなりました。 物心つく頃から絵を描き始め、絵の学校に行ったり挫折したり…20代の時にはものすごく嫉妬や自己嫌悪を抱いていましたが、30代の今あの頃憧れてたような絵がストレスなく描けてます。 もちろん上には上がいますが、自分が描きたいものが描けているし、反響も確実にあるし、この歳だし、絵以外にも優先しなきゃいけないことも増えたし、素人にしては上出来だと思ってます。 こういう諦めも増えたので穏やかに描けてるんだと思います。 トピ主さんは絵だけにストレスを感じるとおっしゃっているので、まさに絵だけに囚われているんだと思います。 絵以外に優先しなければならない問題が起こると(主に実生活の存続の危機がそれです)それが薄くなると思うのですが、それは一種の挫折と趣味への妥協です。 トピ主さんが絵で食っていきたいとかでしたら今の状態が続く方が技術も執着心も薄れずに取り組めるのかなと思います。ものすごく苦しいでしょうが… 趣味として穏やかにやりたいとかでしたら、現状の絵だけに時間を費やせる内は難しいと思います。 ただ、時間が解決してくれると思いますよ。 きっとこの先、絵より優先しなければならないことが出てきます。 その日まで絵だけに悩める時間を大事にしても良いと思います。
もちろん努力だけではたどり着けない場所はあると思います 誰にも、どの分野でもあることだと思います でも絵の上手さって、技術だけではないですよね ものすごく上手いけど別に好きじゃない絵、世間に評価されてないけど妙に好きな絵、不快感すらあるけど忘れられない絵、いろいろあると思います 山の頂点を目指すという分野でないからこそ、一人ひとりの居場所があるんじゃないでしょうか 今は望む絵が描けないと感じているにしても、努力はぜんぜん無駄じゃないと思います
最優先の課題は何でしょうか?結果を出したい=評価されたいなら、宣伝にも多少注力する必要があります。それは、努力とも才能とも無関係にできることです。 足の長さで歩幅が決まるように、画力と才能は確かに相関してると思いますが、基礎は努力でしか築けません。手癖や思いつきでその場限りのヒットを打てても、受け手が真に見ていたい作家はアベレージヒッターです。「だいたいいつもある程度良いものを出してくる」と認知されるには、才能と努力どちらが必要でしょうか。 私は字書きで、私より書ける人は沢山いる自覚も大いにありますが、そこに多少目をつぶってでも書いているのは自分の中にこれを書きたいという会話やシーン、感情があるからです。思うことを思う通りに書きたかったら自分でやるしかありません。百点なんて夢のまた夢で、でも近づきたいという気持ちで書いています。そんな状況でも完成したら幸せですし、過去作に比べたら扱える範囲が広がったな〜と思います。 また、あまり公言できませんが、おそらく才能と呼べる言葉選びに優れた方の作品を読むと文体に圧倒される一方で、ストーリーはそれほど刺さらなかったり雰囲気だったりすることもあり、全てに優れている人がいかに少ないかも感じます。そんな人に当たったら、それはもう当たりくじ引いたことにして、それとなく姿勢なりこだわりなりを勉強させてもらうくらいでいいんじゃないかと。もちろん悔しいから薄目でw そういった全てに優れてる人でも変な人に引っかかって潰されたり、メンタルをやられてしまう人もいます。 雑感でもこれほどハードルが思いつくので、走り続ける力は才能のあるなしとは関係ない気がしてきませんか?トピ主さんの書きたいものを書いてくれるのは、この先もトピ主さんしかいませんよ。いつか振り返った時、自分がんばったなーと思える足跡、是非残していってください。
全面的にトピ主さんの言うことはその通りだと思います。 絵は才能とセンスです。いくら真面目にコツコツと頑張って練習していても、才能とセンスがある人はその横をスキップして通っていきます。でもそれもその人が持っているものだし、才能とセンスがない人が努力していないかと言ったらそれは違います。 私には残念ながら絵の才能とセンスはなかったですがピアノの才能とセンスがありました。 他の人が100時間練習しても完璧に弾けない曲を私は20時間の練習で完璧に弾くことができます。 トピ主は持っていなかった。その人は持っていた。 ただそれだけです。だけど、それでも努力を辞めないのか、辞めて現状で満足するのかはトピ主の自由です。誰にも決められません。やるのか、やらないのか、好きな方を選べばいいんですよ!
上コメの方もおっしゃっていますが、意外と時間が解決してくれるものです。私も20代の頃はツイッターで万いいねもらったり万フォロワーの絵描きになりたくていつも自分に不満をもっていましたが、30代に突入したらなんとなく気にしなくなったというか、自然と諦めがついた気がしました。良い言い方をすれば理想に固執しなくなったのだろうし、悪い言い方をすれば自分に見込みがないことを悟って望むのをやめた、逃げたという感じです。 トピ主さんが言う「上手くなりたい」が具体的にどのような状態なのか分からないのでなんとも言えませんが、おそらく昔の私のように数が伴う上手さに憧れておられるのかなと思います。商業デビューしたいとか、他人の評価は気にせず自分が納得できるまでとことんやりたいという悩みではない気がします。それ前提でコメントします。違ったらすみません 実際、たくさんの山々が連なる中で最も高い山を探すのは簡単ですが、「自分にとって登りやすい山」を探すのは、なかなか難しいものです。どの高さでどんな地盤で、どんな登山ルートが快適か、あらゆる山を登って降りてみないと分かりません。何年やってもたどり着けない、無駄な努力だったなど色々な感じ方はありますが、それらはすべて「いろんな山を登った時間」だと思っています。その中に最高峰が含まれていてもそうでなくても、努力する人は常に山を登っていて、無駄な道など無いはずです。 最高峰に到達できるかどうかは登ってみないと分からないし、それは1年なのか10年なのか誰にも分かりません。でも9年目の登頂チャレンジの途中で、とても登りやすく居心地よい山に出会えたら、決して高くは無いけどこの山から見える景色が好きだなと思えて、そこで歩みを止めるかもしれません。それってとても幸せなことだと思います。 その境地に至るためにはやはり、無駄とも思われるほどにたくさんの時間をかけて登る必要があると思います。最高峰にいる人もきっとたくさん山を登って、その結果やっぱり最高峰にいるのだと思います。 しかしどう考えたとしても「トップになるべく人しかトップになれない」事実には変わりないのですが、それだけが創作者の幸せなのではないと分かる時が来るし、それに必要なのが冒頭お話した「時間」なのだと思います。
私は努力して絵が上手くなりましたが、それで何を手に入れたかというと何もありません 下手だったころは絵が上手くなれば、きっと評価されるとか、ファンがついて褒めてもらえるとか、あの神絵師と仲良くなれるとか、夢を描いていました そのために努力して時間や睡眠時間やメンタルを削ってまで絵を練習しました しかし絵が上手くなった先にあったのはドロドロした人間関係でしかありませんでした 才能ある人は自分の絵のことしか考えてないのでどんどん上手くなるけど他人に興味がないです 反対に努力して絵が上手くなった人はめちゃくちゃ嫉妬して反骨精神や承認欲求で絵を描いてるので相互を自分の踏み台にするために愛想笑いしながら攻撃をしてきます 才能や努力の壁はありますし、それを乗り越えても、どんどん壁が高く厚くなるだけです 絵が上手くなって自分はどうしたいのか それに尽きると思います
幸せの青い鳥の話を、なんとなく思い出しました。 あれも家の外に幸せの鳥を探しにいくけど、実は家の中に青い鳥はいたって話じゃないですか。 でも、外に探しに出る前は、その鳥を見つけられ無かったんですよね。 見つけられたのは、外で探し回った経験があったからこそ。 トピ主さんの作品を見たこと無いから適当な推測ですが、多分もうトピ主さんは一定の技術はついてるんだと思いますよ。 ただ人から思うような反応が得られないから、自分の努力は実ってないって思い込んじゃってるんじゃないかな。 外に評価を求めるのをやめた時、多分トピ主さんは自分の技術をフラットな目線で捉えられるようになる気がします。
「頑張ればいけるライン」「才能が必要なライン」、まずその二つのラインがあるのかもと気づいたのが今回の発端で、私が知りたいのは自分の中でのそのラインなのかもしれないと思いました。ただやっぱり実際それを知るのは難しいですよね。 hepjtkcrさんの「何に対しても早めに自分の身の丈を知って身の丈の中で幸せを見つけるもの」という言葉にもハッとしました。私は絵において身の丈を知れていないのかもしれません。しかし正直に言うと、身の丈を知るのが怖い気持ちも湧いてしまいました。 頑張ればいけるラインでいくらもがいても、結局は才能部分が大事で、そこで決まるのだと思うと辛いものがあります。でも確かに実際そこが大事なのかも、と周りを見渡すと感じることは多いです。これが現実なら受け止める勇気も必要ですね。
私も本当に小さい頃から描いてはきているので、お気持ちすごくよくわかります。 掛けた時間≠実力なのは仕方ないと理解しても、実際そこを乗り越えるのってキツいです。 たとえ時間がかかっても、理想に辿り着くならそれはそれでいいかな…というか、才能がなければそれしかないかなと思うのですが、 結局のところ理想には永遠に到達できないのかも…という気持ちや不安は私も感じています。実力を付けることは本当に大変ですが、理想は簡単に膨らんでいくものだなあと…良質なインプットの中で、年々目が肥えていっているとも思うので…どこかで自分の気持ちに折り合いをつけなければいけないんでしょうね。
理想の中には色々あって、コメ主さんが挙げて下さったものはどちらも該当するかな…と思います。 ただこういう絵を描きたいと思う人はみんなすべからく評価をもらっていますので、評価も理想のうちに入っています。どちらかと言えばもしもインターネットなどの評価の場がなくなっても、自分でこういう絵が描きたい!と思ったように描けたら理想に届いたと言えるかなと思います。 勇気をもらえる言葉、ありがとうございます。コツコツ続けていった先で、限界突破の道を見つけられる時が来てくれたらそれ以上のことはないですね。ずっと暗いトンネルの中にいるような気持ちなので、いつか出口が見えるのかな…たとえ理想に達したとしても、ずっと求めてしまうというのもそうだと思います。恐らく欲は尽きないですし、続けていれば何かしら変化していくものですからね。でも一度、とりあえず腰掛けたい椅子があるみたいな、そんな感じです。
私は今20代後半です。年を重ねたらできるようになることが増えるというのはすごく希望が持てました。 諦めも大事ということ、いろんな場面で痛感しています。基本的に諦めが悪い性格なのだと思います。 コメ主さんの仰る通り、今現在趣味の絵に費やせる時間があるんですよね。この先ライフスタイルが大きく変わる予定は今のところはないですが、趣味以外でも未来のことは分かりませんからね… ただ現状は外的要因によって解放されるのはまだ先かなと思います。 絵を仕事にしたいかは色々と複雑なところなのですが、それくらいの熱量を持った趣味であることは確かです。 今は悩む期間だと割り切ってもいいのかもしれません。ものすごく苦しいは苦しいですが…実際にその先を経験されているコメ主さんから、時間が解決してくれると言われると今悩むのも少し気が楽になるような気がしました。
一人ひとりの居場所がある趣味というのはすごく素敵な言葉ですし、絵の世界って実際そうだな…と思いました。 私は技術的に優れている絵を理想としがちなので、余計逃げ道がないように感じるのかもしれません。好みが純粋に上手い絵なんです。笑 個性のある絵も大好きなんですけどね。 努力は無駄ではないと思える瞬間が訪れてほしいと願います。
最優先の課題は画力向上でしょうか。欲張りですが、それに伴って評価もついてきてほしいです。SNSの評価は水物と感じることもありますが、一方でしっかり上手い人はジャンル交流関係なく順当に評価されていると個人的には感じています。もちろん本当に見つかってない原石もあると思いますが…どちらかといえば、表面上の評価をもらうくらいなら評価をもらえなくても原石になりたいです。 自分の中でこれを描きたいという気持ちを原動力にすること、とても大事ですね。そこをもっと明確にしていく作業が必要なのかもしれないと気付かされました。 真に全てに優れている人は確かに冷静に俯瞰すると少ないような気はします。 そして当たりくじ…実は一度だけそんな経験があります。好みもあるけれど本当に何もかもすごい人っているんだな…と、打ちのめされるばかりでしたが、コメ主さんの横目の姿勢、見習いたいです。 技術面ばかり見ていたんですが、自分の描きたいものにももっとフォーカスしていく必要があると思いました。それがきっと頑張れる理由にもなれるのではないかと…前向きなご意見に力を貰えました。
やはり才能は確かに存在して、なおかつそれが大きく作用するものなんですね。 ピアノのこと、すごいです。才能があるっていうのは、一を知れば十できるようになるみたいな状態のことですかね。 そう思うと今のところ自分に才能がある!と感じたこと、絵関係なく何も無いです(悲しみ…)。他の全くできない人に比べればできるという面では絵の才があると思っていましたが、才能っていうのはもっとその中でも光っているものなのかなと。 現状に満足できれば本当に幸せに生きられるんでしょうが、それがなかなかに難しいことなんですよね。上のコメ主さんにも言われましたが、いつか諦めのつく時期がくるのかもしれません。時間が経つまでは苦しくとももがき続ける他ないのかもしれないとも…
時間が解決してくれる系の意見、正直救われるような気持ちがあります。 現在20代後半に差し掛かったくらいですが…いろんな面で自分に不満は尽きません。 どんな形であれ、自分が納得いっていて苦しみがないならそれが一番なのだと思うのですが、無理やり自分を納得させることはできないので…やっぱり時間が解決してくれるのを待つしかないのかなと思います。 理想に関しては前の方のコメント返信にも記載しましたが、上手くなりたい気持ちと評価を頂きたい気持ち、どちらもあります。上手くなった結果論として評価が伴う形を望んでいますが、結局数も理想の視野に入れていることには変わりがないかなと思っています。 登山の例え大変わかりやすく、心に沁みました。たまに本当の登山をするんですが、登ってる時のあの永遠にも思える辛さ、今の状況とリンクしますね。私はまだ現状の高さから見える景色に納得がいっていない上に、頂上までの距離もわからないので、苦しくて怖くて当然なのかもしれません。でもたとえ頂上まで登れなくても、いつかふとこの景色いいなと思えることもあるかもしれないということですよね。 それもいつそう思えるのか今はわからないけど、諦めて下山したりここで足を止めてしまったら苦しいばかりしか残らなくて、それは嫌だなと思いました。それならいつかに希望を持って、登り続ける方がいいかもしれません。今は本当に苦しいけど…いつか何かしらの形で、自分に嘘偽りなく腑に落ちるというか、楽になれたら良いなと思います。
私も今、睡眠時間やメンタルを削りつつ絵を練習していますので、なんだか身につまされるお話でした。 正直に言えば夢も描いてしまいますね…単純に上手くなりたいが先決ですが、上手くなれば欲しいもの全部手に入れられるような気はしてしまっているかも。現実はそう甘くないですよね。 上手くなってどうなりたいのか…とても現実的なお話でした。それでもただ上手くなったと自覚できたらそれだけでひとつ宝物を手にした気分になれる気がしています。なので、努力して上手くなったと言うことができるコメ主さんは凄いし良いなと思います。理想に辿り着いたその先のことはあまり考えたことなかったので、色々と考えさせられます。
今の私は青い鳥を外で探し回ってるような状態なのかもしれないですね。 外的な評価が絶対とは思わないですが、評価がもっと付けば自分の努力は実ったと感じられたかも…と思う一面があることは否定できないです。SNSって時流の運や交流などで評価が変わるものだと理解しているんですが、上手い人はそこを飛び越えてそれなりに評価されてると感じるので…そういった面でも理想が高いんですね、きっと… とはいえ自分の絵は技術面から鑑みても現状の評価で順当と思うことも全然あります。本当に全くだめな訳ではないと思うのですが、理想には遠く及ばないので…そこを飛び越えられる力を求めてる過程で、今回のトピ立てに至ったような感じです。
私も物心着く頃から絵を描くのが好きでずっと描いてきましたが、思うように上手くならないままかなり歳を重ねてしまいました。 こう言うと「練習が足りない、上手くなる人は一日数時間も描いてる〜」と反論されることが多いのですが、時間のある学生時代はかなり時間をかけて努力して練習していました。今思えばおそらく練習の熱の入れ方か方向性を間違えていたんだと思いますが、それだけ努力しても大して上手くはなりませんでした。 今も日々上手くならない現場に落ち込んでいますが、自分の頭がポンコツなんだろうなと少し諦めがついてきているので、自由気ままに好きなジャンルで漫画本を出したりしています。 同じ時間勉強しても地頭の違いで差は出ますし、ある程度同じレベルまで辿り着けても、そこからは努力では覆せないものもあると思います(天才と秀才の違い)。なので私個人の意見としてはやはり才能とかセンス、能力の差で最終的に辿り着ける場所に違いはあると思っています。
読んでいて自分もとても考えさせられるものがあるトピでした。 絵の技術面における成長は、緩やかな曲線ではなく、気付きを得たタイミングでポンと階段を登るようなグラフを描くと私は考えています。 その階段を登れるタイミングというのは人それぞれであり、かつ寿命という限られた時間の中で努力をしているので勿論、多く階段を登れるような方々は最終的な地点もとても高くなるものだと思います。 ただ、階段を登るタイミングはいつになるかわからず、またその階段を登ったあとの高さも、登ってみなければわからないとも思っています。 もしかしたら明日その階段を登るかもしれず、いままでポンポンと軽快に階段を登っていた方々の一段よりずっと段差の高い一段を登るかもしれません。前の方が仰っていた登山の例と近いですが、その高さがわかる権利は、階段を登ろうとした者にのみしか与えられないと思うと、自分は明日も足を止めないでみようと思える気がしています。 自身も絵描きで、あまりうまく言葉で伝えられていなかったらすみません。上手くなればなるほど審美眼が磨かれてどんどん理想が高くなるので、追いつける事が無くてしんどいですよね。そもそも登り続けていれば最終地点というのが存在しなくなるという論調で話してしまったのでずれた話をしていたかもしれないのですが、何か心に触れられる点があれば幸いです。
ご自身の経験も踏まえて、とても冷静な目線からのご意見ありがとうございます。 絵の上達には、芸術的な技量のみならず頭や要領の良さが求められることが結構ありますね。 諦めをつけることも時には必要ですよね。仕事でもない限り、誰に迷惑をかけることでもないのだから楽しんで気ままにやれるのが一番だと思います。むしろいつまでもしがみついて悩んだり私のように体調に現れたりする方がよほどだめだと… 誰でも上手くなれる素質をもっていて、そこから伸びるかどうか全ては努力次第みたいな考え方をしていましたが、その素質で最初からある程度伸び代は決まっているのかもしれないですね。それを思うと、やっぱり悪い意味でなく諦観みたいなものを持った方が良いんだろうなと改めて思います…私の場合、諦めるには時間も必要そうです。
理想は完成形として見えているのに、自分の成長は先が見えない上に、今までの経験から考えてそれほど成長できてなくない…?みたいな焦りが、余計にこういうことを考えさせる気がしています。 階段の例え、とても理解しやすかったです。坂道のように少しずつじわじわと上がっていく感じではなく、次の一段まではずっと平坦で、かつこの段が一番上かもしれないし、次の一段がいつ見えてくるかもわからない…みたいな。でもその一段がすごく高いかもしれないし、明日一段登れるかもしれないと思うと…なんだか急にやめられなくなってきますね。私はこれ以上次の段がないかもしれないという現実が一番恐ろしいのですが、こればかりは誰にもわかりませんし、歩みを止めれば確実に次の段はありませんからね… 今いる場所が一番上でも諦められる、もしくは心から満足できる日までは、この苦しみとはお付き合いしていかなければならないのかもしれないです。コメ主さんのもしかしたら明日とても高い一段を上がれるかもしれないという考え方は、そこを頑張るための気力になります。
理想に手が届かないのは当たり前の事だと思うんですよね 多くの人がやりたい仕事とかをやってるわけじゃなくてやりたくもない仕事をやっているわけじゃないですか それでも苦しみに耐えて理想を目指して努力し続ければ今よりは伸びていくでしょうね それが嫌であるならば理想を諦めれば楽になれます この世には輝かしい楽しい人生があって何かすればそれが手に入ると思って悩んでる人って多いらしいんですよ でも、そんなものは無くて人生って日常が続くだけらしいんですよ 絵が最高にうまくなって最高に人気になれば最高の人生が手に入るんだという思い込みを辞めればいいと思うんですよね 自分が最高に絵がうまくなって人気が出たとしてどれほど楽しいのかよく想像してみればいいと思います 想像できないって事はただのあやふやな妄想に過ぎなかったという証拠だと思うんですよね 絵をうまくなろうとすれば競争になり優劣を気にして嫉妬や劣等感や焦燥感に苦しめられ、人気になろうとすれば他人や世の中に不平不満をもって怒りが沸いて苦しむのは当たり前だと思うんですよ 私は苦しみたくないので絵に関しては全面降伏してわざと下手に描いてフォロワーもいいねも減らしていますね 絵を描くことそのものを楽しみ、好きなキャラクターと一緒にいる感覚に幸せを感じています
才能と努力、どちらもあると思ってます。 才能とはなんぞや、努力とはなんぞや、というのは以前スゲー長文を書いてましたがあまりに長ったらしいので割愛します。 (好き嫌いとか得意苦手とか努力型・天才型とかそういうのもひっくるめて) ■絵の上手さ 単純化した数式なので、実際にはこの通りでないことは前置きして置きますが、 才能と努力で絵の上手さが決まるのなら 絵の才能100+絵の努力0=絵の上手さ100 絵の才能0+絵の努力100=絵の上手さ100 絵の才能50+絵の努力50=絵の上手さ100 まぁ上手いね、って言われるレベルです。 絵の才能50+絵の努力100=絵の上手さ150 絵の才能100+絵の努力50=絵の上手さ150 上手い中でも抜き出てる人。 才能もそれなりに絵の努力派の秀才タイプか、努力それなりに才能派の天才タイプか。 絵の才能100+絵の努力100=絵の上手さ200 学校の成績は美術5、他の主要教科もALL5みたいな人。 才覚もあって、努力もするから他の色んなことにも挑戦できるかも。 絵の才能200+絵の努力100=絵の上手さ300 絵の才能100+絵の努力200=絵の上手さ300 マジモンの絵の天才。 桁違いの才能か、桁違いの努力。 こんな感じかな、と思ってます。 トピ主さんの言う「理想」「着けない境地」とは、才能も努力もズバ抜けている人しか辿り着けない《絵の上手さ300》じゃないでしょうか。 実際には《絵の上手さ150や200》あたりでもプロとして食っている人はいます。 誰もが《絵の上手さ100~150》に達することは出来ても、《絵の上手さ300》に達することが出来るのはごく一部だろうと考えてます。 それは才能や努力もありますが、絵を描き続けることが出来る環境や運も関係してくるからです。 すごい絵の才能があり努力できる人でも、ブラック企業に努めながらじゃ描き続けられないですし、 絵の仕事に就こうと思っても、就職や受賞出来るかは運だけでなくテーマ選びや流行など他の要素も関係するからです。 ■絵の要素 「絵の上手さ」と一口に言っても、絵も色んな要素があります。 自分事を例に出すなら、私は「構図」が得意で「色彩」が苦手です。 「構図」に関しては特に勉強したなどではなく、幼少から非常に褒められてきた箇所です。 ほとんど感覚で選ぶことが出来るので、自分で言うのもなんですが天性のものだと思っています。 つまり、「構図」に関しては《才能100+努力0》ということです。 「色彩」に関しては苦手で、これは理由は明白ですが色覚障害を持っているからです。 ある程度、色彩について勉強したりRGB値を見るなどの努力はしていますが、どうしても埋められない部分があります。 これについては努力もそこまで足りていないので《才能0+努力50》といった具合です。 絵というのはそれ以外にも色んな要素が関係してきます。 「絵の上手さ」の細かい要素それぞれに才能と努力の結果が出て、それらがトータルで「絵の上手さ」になるんじゃないか、と。 絵の要素が複数あるということは、才能と努力も複数種類あるわけです。 絵の流行に敏感な人はイラストレーターになり、そこから「絵を描き続ける環境」を手に入れて《絵の上手さ300》になれるかもしれません。 単に、絵も上手さ=質だけとも限りません。 量を描くことも上達につながる要素ですから、筆が速い人はたくさん描くことで《絵の上手さ300》になれるかもしれません。 ダヴィンチは多作ではありませんでしたが、ピカソは多作な画家として有名です。 ■まとめ 他の方もおっしゃられていますが、絵に向上心があることは非常に良いことですが 必ずしも「上手くならなければいけない」わけではありません。 「上手くない」=価値がないと完璧主義的に極端なジャッジをしてしまうと それは自縛であったり自己評価を下げたり、果ては鬱の入り口にもなりかねません。 向上心程々に、向上心に飲まれすぎないことが肝要かと思います。
抱いている理想は実際ほとんど幻想だということでしょうか…それが叶うかはさておき、想像すると思い描いたように上手い絵が描けるだけで人生楽しくなりそうです。ただ上手い絵が描けるようになる、それだけでもすごく難しく苦しいです。 コメ主さんはすごく冷静に物事を分析して判断されている方なんだと思いました。楽しめるのが一番だと思います。私は理想を捨てきれないので、苦しみ続けてるのだと思いますが、なかなかそれを分かっていても捨て去ることは難しいのが現状です。
説明大変わかりやすかったです。同じ技量を持った人でも、そこに至るまでの能力値や努力値は異なるということですね。 ただ、才能が少なくても努力を多く重ねれば肩を並べることができるというのには勇気づけられます。実際その分の努力を重ねるのは並大抵のことではないのでしょうが… 完璧主義的なジャッジは危険だというお言葉にドキリとしました。そういう側面があるので… まずは自分の価値観や考え方を今一度見直すべきなのかも、と思わされました。努力を続けるためにも大切な行為かもしれません。
才能と努力、それぞれ0〜5の6段階あって 才能×努力だと島田紳助さんが言っていたそうです。 才能がある人が努力したら勝てない、とはこういうことかと納得しました。 逆に才能があっても努力0なら0 つまり自分でどの道に才能があるか見極める必要があるのかな、と…。 トピ主さんが目指す所が1枚絵でなく、複数の能力が複合された漫画なら、画力は才能なくてもストーリーの才能はあった、とか何かしらチャンスはあるかもしれません。 ちなみに私は絵のセンスはそこまでないと自分では思っていますし6段階だと多分2か3くらいかなと思っていますが、努力5したら最大15くらいまではいけるのかな、とちょっと希望は持てました。 画力に関しては人体解剖学など記憶力が大事になってくるのかなと感じました、こちらに関しては努力次第でかなり上まで目指せるのでは?と思いました。 その続ける努力もまた才能なんですけどね…。
なぜ6段階なのか気になるところですが、それはさておきかけ算という考え方はとてもいいなと思います。努力すればするほど掛かる数は大きくなるという…でも逆にゼロになにをかけてもゼロですから、全くのゼロだと努力をしても仕方がないという現実を表してもいるのですね。 続ける努力もまた才能というのはとてもわかります。やはり持って生まれた物に左右されてしまうのは仕方ないことなのかもしれないですね…