自分の経験的には、友達にだけ見せるとしても、誰かに見せる前提で創作する時は「人様が読むものだからちゃんと伝わるようにアウトプットしなければ」という意識が働いて客観的な視点でチェックするようになります 自分は両刀なのですが、漫画の場合は背景もしっかり描いたりイマジナリーラインを考えて構図を決めたりしますし、小説では場面転換が自然になるように心がけたり説明不足だったり冗長だったりにならないように注意する気構えが強くなるなと感じます 完全に自分だけが楽しむための創作だと、脳内補完が激しくなる分、客観性のない作品になってしまうなと思います たまにはそういう創作をしてもいいとは思いますが、ずっとそれを続けていると、他人が読んだ時にさっぱり伝わらない作品を作る癖がついてしまう気がします
自分は絵だけど、ノートに描くのはただの落書きだけ。 同人誌とかフォロワーの居るアカウントに載せる時はそれなりにあたま使って描いてるから、経験値になってると思う。 そういう「誰かに伝えるため、伝わって欲しいから工夫する」タイプなら学びはあると思う。 絵もそうだけど、モノローグや説明も何度も伝わりやすいよう試行錯誤してる。
作品ひとつひとつに一定以上のクオリティは保たないと!っていう緊張感持てるから継続するなら人から見える場所で発表する方が上達はしそう 自分は絵描きなんだけど、サボり魔だから人に見せない前提の絵描くと途端にクオリティ落ちる
人に見られるというより人に見られるという意識を持って作るようになったら伝わりやすさは上達すると思います。トピ主さんが求める上手さがそこになら見られた方がいいけど、もっと違うところを伸ばしたいなら見られなくてもいいと思います。(旬とあるからどこからでも読者は来ると思いますが) 交流等に疲れてしまったらなら、一旦壁打ちしてみるのもいいのではないでしょうか。 私は自カプ界隈で交流もして楽しく過ごしていましたが、ある時に解釈違いと地雷を立て続けに踏んで自分以外の自カプ創作者が嫌になってしまって勢いで別名義の壁打ち垢作りました。今は気持ちも落ち着いて本垢に復帰していますが、別名義の壁打ち垢もたまにログインして作品あげてます。イマジナリーフレンドみたいで楽しいです。 本垢とは違うテイストの作品を書いているので表現の幅とかは広がっているような気がします。 周りを気にしたくないなら別名義でもいいし、ネットに公開しないで自分だけで楽しむのでもいいし。今は創作の邪魔を取り除く方がトピ主さんの創作活動にとってプラスになるのではないかなと思いました。
私も絵だから言えるかもしれませんが、見られて上手くなるは本当にそうだと思います。見られる意識がないと上手くならない。 でもリアルタイムで配信している時以外の作品発表の場の交流はなるべくシャットアウトしてます。 Twitterの交流はめんどくさい!作品を見て感想を抱くのって、その人自身のコンディションとタイミングが合った時に言えばいいものじゃないですか。 なのに交流って名目でコンディションもタイミングも合ってないのに感想を言わなきゃいけない人を見るとほんとうに可哀想に思います。感想言わなくたって何かしらの方法で交流なんて出来るんだからそっちでやればいいのに。 Twitterやpixivで発表したその時点で絶対に誰かに見られるのだから、その意識でよくないですか?絶対に誰かに見られるんですよ。反応がなくたって未来の誰かに絶対に見られる。そのつもりで書けばいいのに。見てくれるのが1人かもしれないけど、その1人にフォロワーがたくさんついていたらどうするんですか。めちゃくちゃ見られちゃう可能性は無限大じゃないですか。 嘘をつき合わない友達が欲しいという欲求と、誰かと高め合って創作の力を伸ばしたいという問題はひとつにしないほうがいい。
批評してもらえという意味ではなくて、「誰かに見せるものである」と意識することで上手くなるのかなと思います
思わない。 見られたうえで褒められると上手くなる。 見られてるだけで反応一切ないのは誰も見てないのと同義だからな。 まあ批判や誹謗中傷でも反応だが、私の場合はされると漏れなく殺意が湧いて、そいつを題材にしたリョナ小説を書きたくなる(書くとは限らない)ので、褒められる方がいい。
>>8
ちなみに普段はほぼオールキャラギャグか、推しカプBLのイチャラブかアホエロのハピエン厨です。 リョナは大好きだけど、推しキャラや推しジャンルでやりたいとは思わないし思えないので、一次創作限定かつ別垢でやってる。
字書きだけど、見られてうまくなった実感があるから必要だと思う。 特にリクエストを受けて作品を出すとかなり上達する。必ずリクエストしてきた相手がいるから、変なもん出せないってプライドも働いて(笑) でも、交流をしすぎたり他者に「良く思われたい」と思って動いていると、やることが顔色伺いになって微妙になる気はする…。どっちかというと「自分がしたい」ことを相手に理解してもらうためのほうが、自分の中に元々の種があるから工夫もしやすいし、想像力が膨らんで技術として表に出てきやすいんじゃないかな。 ちなみに私は2つのジャンルを掛け持ちしてるけど、片方は支部垢のみにしてるから作品に集中できて楽しいから、別垢にしてみるのも良いと思う。
たしかに意識は変わると思います。求められているから、早く新作をあげなきゃ!で創作スピードあがるし、いいもの書かなきゃ!でクオリティも向上する 見られてなくてもそれができる人はいるけど、周りの反応でモチベが変わるタイプならメリットだと思う というより、見られるより見るほうも効果あると感じる。私は描き手だけど、元気なジャンルは流行りの絵柄の絵馬が集まります。刺激を受けると自分も奮起するし影響されて上手くなれる 小さいジャンルに留まると井の中の蛙になっちゃうので、色んなジャンルみるようにしてるし複垢や別名義もってるよ
見られることよりも沢山の字書きがいる中でもまれると上手くなる気がする 私自身マイナーで活動してた頃よりも神字書きがゴロゴロいるジャンルで活動したら文章全体が上達した実感がある
ジャンル内の他者と比較しなくても過去の自分と比較して上手くなっていくことはできるよ どのみち上手いか下手かの判断には比較がつきものだから、ジャンル外のプロの作品を目標にして普遍的な上手い要素を吸収しつつ、比べるのは過去の自分ってやり方で上達していってる でも今までの経験的に、近い場所(ジャンル内)に格上の相手がゴロゴロいて、自分が創作する意味なんてないんじゃないかって逃げたくなるような環境の方がしんどいけど上達した これ本当にしんどいから、心が折れる前に自分の心の守り方を見つけて良い距離感の保ち方を覚えないと筆を折りかねないけどね
トピ主です。まとめての返信で失礼します。 沢山のアドバイスをありがとうございます! やはり見られること、見られるかもしれないという意識をもって作品をつくることが大切なのですね。 大きなジャンルで揉まれる事で上達する、というのもよくわかります。プロのような方がたくさんいますよね。 いただいた返信を読んでいて、自分が思っていた以上に交流に疲れていることや、周りの反応が気になって今ひとつ好きに書けていないことに改めて気づきました。 ご指摘の通り、斜陽とはいえ大きなジャンルなので、別名義でひっそり活動を始めても誰かしら読んでくれる方はいそうです。思い切って壁打ちとして再出発し、自分が好きなものをのびのびと書くことにします。 貴重なお話を聞かせて下さりありがとうございました!
絵描きだけどガチ技術ある画家にちゃんと習ったらめっちゃ上手くなった オタ絵とは関係ない普通のカルチャーセンター的な絵画教室 一週間に1回一時間程度通っただけ これは自分でも全く意味不明 人に習うってかなり効果あると思う