才能という言い方が誤解を招くけど、好きなことでも続けられない人っているからね 絵描くの好きだけどどうしたらうまくなれるかは調べないしわかっても「うわ無理ー」みたいな人たくさんいると思う そこで興味持ってできる人はそれだけで絵うまくなる素質があると思う。まぁ絵だけに限らないけど
努力出来る事は才能だと思うけど最初から才能だからで片付けて何もしない人は嫌い
才能だよ体力も脳内伝達物質も色々関わりあるし 完膚なきまでに才能
努力できる人に褒め言葉として使うものであって、出来ないことに使うのは違うと思う。 ただ、まぁそれは別として「やれば出来る」を他人に押し付けてくる人は嫌いだから、そう言う押し付けの強い環境にいたらそう言いたくなる気持ちもわかる。
トピ主さんは、苦手だったり大嫌いな分野はないですか? 例えば、害虫を素手で掴んで退治することに拒否感はないですか?それを努力でどうにかしろと言われてやる気になれますか? 自分は子供の頃にいろいろな習い事をさせてもらったんですが、中にはどうしても肌に合わずまったく習得できなかった分野がありました 一方で、親に禁止されていたにも関わらず漫画を描くことはどうしてもやめられず、今でも描き続けています そして自分の周囲の人は、絵を描くことにまったく興味がなく幼稚園児レベルの絵しか描けないけど特に上手くなりたいとは思っていない人が大半です 自分に漫画の才能があるとは思いませんが、少なくとも漫画を描こうとする努力の才能はあったのだろうとしか言えません (一応、プロにスカウトされるくらいではあるのでただの下手の横好きよりは多少マシではあると思います) 人間は何に対してもベストの努力ができるようにはできていないと思っています 興味のないことを習得するのは並大抵のことじゃないと思います また、幼少期などに適切なメンターと出会っていない人は、そもそも努力の仕方そのものもわからないまま大人になってしまうこともあると思います メンターは親だったり教師だったり友人だったり様々ですが、努力することのメリットを経験することがなければ、努力することの意義を理解できないままとなってしまうのも仕方ないんじゃないかと それを甘えとか言い訳とかで切り捨てるのは、かなり世界の見方が単純化されすぎじゃないかな…と思います 創作者だったらもっといろいろな人がいることを知った方が良いと思います
トピ主はせめてトピ文書くにあたって創作に絡める努力をしてくれよ
『努力できるのも才能』はそうだと思います。『努力・挑戦』の選択肢を選べた事が才能です。 努力できるのも才能←そうだと思う。 みんなができるわけじゃない。←そうだと思う。環境があるから。 やればできるって言葉が大嫌い←それは努力できるのが才能とは少し文脈の違う話だと思いました。「努力する」という選択をした人の中にも「努力してもできない」は存在しますね。というか、何かが上達するには「できない」ことを見つけて「地道に一歩ずつできるように続けていく」ことが肝だと思うので、「やればできる」は存在しないのではないでしょうか。「やってもできなかった」という物事と折り合いをつけて成長をしていく、できない自分を受け止めてもがく行為が努力だと思います。 まとまんなくてすまないが、「やればできる」ってめっちゃ長くて広い目で見た時の結果の話で、その中にはいくつもの「できない」の経験がある。だから「やればできる」を短い視点で見るなら嘘の言葉になるから嫌いな言葉になるかもですね。
本人がやれることはやったほうがいいと思うけど人には人のキャパがあるからね 少数派かどうかはわからないけどその考えは若い そもそも努力で何とかできるって考えは努力でどうにもならなくなった時自分自身を追い詰めるし、強いては人の事も追い詰めることになるからもう少し視野を広くもって他人に寛容になったほうが人間的に成長できるんじゃないかな
その友人は「やればできる」といいつつ「やらない」人に腹を立ててるのでは?
努力できるのは才能だと思う、だって勉強とか練習とかトレーニングなんて普通出来ればしたくないのに続けられるだけで才能アリだと思うから トピ主は多分その人の何かに引っかかるんだろうけど人の努力を測るのはやめた方がいい
>>2
たしかに、努力する基盤となるのってまず興味を持てるかどうかが大きいですよね…! 興味を持ってさらに努力できるって、かなりしぼられる気がしてきました…
>>3
最初から諦めちゃうのは勿体無いですよね
そうなんですか…
出産ってほんとすごいことだと思います!すごい体力使うと思うので、それは努力云々の前にゆっくり身体を休める時なんじゃないかなと思います
>>6
たしかに、まず前提として『努力できるのは才能』ってマイナスじゃなくプラスの意味で使うべきですね… 人それぞれキャパがあるから、押し付けられたら疲れちゃうのもわかります
>>7
努力しようと思えるのってまず自分が好きなことだと思っていたので、苦手なことを努力で克服となるとまた違うというか、苦痛でしかないですよね…! 視野を広げていきたいなと思いました。
絵描きの知り合いっていうのを省いてしまってた、ごめんね
なるほど…!なんか、単純な言葉そのままの意味で受け取ってモヤモヤしていた自分が恥ずかしくなりました。そんな単純なものじゃないですよね。ありがとうございます!
すごくしっくりきました。たしかに、努力すればある程度なんとでもなるって考え方は、できなかった時に自分に返ってきますよね。まだまだ人間的に未熟だなと痛感しました。
>>11
やればできるから〜と言いながらやらないのは単純に勿体ないですよね。
私はいままで努力ってしんどいこともひっくるめて楽しくて夢中になれることだったので、無意識に他の人もそうなんじゃないかと思ってました。人の努力を測るって本当に失礼ですよね…意識を改めます。
誰も言わないけど才能よりも努力よりも一番重要なのは運 だから「運も才能のうち」や「努力が運を引き寄せる」といった一種の負け惜しみが大手を振ってまかり通る この二つよく読めばわかるけど才能も努力も運の前では勝てないってことが前提 なのでSNS時代には誰も彼も一発バズを夢見て入り浸る
もし何もしないうちからこういう言葉を言っていて、かつ10代20代前半みたいな若い人だったら、もったいないなあと思います。やってみて駄目だった、無理だった、なら分かるんですけどね。確かに人には向き不向きがあるから。
>>27
追記 上に「努力できる人への褒め言葉として使うもの」という意見もありますが、個人的には「目標に向かって努力していた人が叶わないと分かって現実を受け入れる為の言葉、もしくはそういう人への慰めや労いの言葉」の方がしっくりきます。
努力は才能じゃない、やれば出来るって言葉は 立派な思考停止だしウサギ跳びやってりゃ筋肉つくとか言う昭和の老害が使う言葉だと思う。昭和生まれだけど。 人には得手不得手が誰しもあるし、その上でなぜ出来ないのかという考察は絶対必要で、それをやらないでして「努力出来る」はおかしいよ。頑張って努力する方向性は万別あるのに。 1聞いて5出来れば上等過ぎる 1聞いて10出来れば天性のセンスがある天才 1から10まで聞いて出来るなら普通に出来る人だよ 努力って積み上げるものだけど、1を2にする時間やスピードは千差万別です。それを理解できない力のない指導者が「もっと努力すれば出来る」とか言う 教え方が悪い自分は棚上げで
マジレスすると「努力できない」ってIQテストで数値に出たり医師が初見に現せるもの 必ず原因があってそうなってるし「やればできるなんて言葉大嫌い」とまで言ってるならかなり困難を抱えてるんだろう 自分も「努力できない人がいる」というのが理解できなかったときはトピ主と同じ考えだったけど、鬱やってようやく理解できた 「やればできるでしょ」は骨折してる人や骨にハンデがある人に「全力疾走すれば速さなんか出るでしょ」くらい無意味で的外れで有害 できないことはできることで補えたりもするからその人に合わせた努力の仕方をカスタムメイドする必要がある
努力できるかどうかはその習慣があるかどうかでしかない ダラダラする習慣を捨てることができない人は努力する習慣を身につけることができない 何でもかんでも才能というのはあんまりに思考放棄してるし、無知だと思う 歯磨きするのもシャワー浴びるのも習慣、スマホで時間無駄にするのも習慣、自分磨きするのも習慣 でも自分がこなせる習慣には時間的に限度があって何かを習慣化する時には他の習慣を捨てなければならない
努力できるのも才能=努力できるのは才能って意味なら間違いじゃないと思う も、って言ってるから才能持つことが特別な人になれる絶対条件みたいに考えてるのかもね ただ視野狭いなぁって自分なら思っちゃうし、トピ主の言い訳〜って言い分もわかるよ それを事あるごとに言う人達で、そもそも努力してないとか努力する前に辞めた人が結構いるからね 本当に努力して才能が無いんだって自覚して言ってる人もいるから、トピ主が出来ることとしてはそう言う人がいたら今まで頑張ったことある?って聞くのが良いんじゃない笑
え、これ創作関係ある? クレムで聞く質問?
努力と言っても、求められるゴールまでに必要な練習が10か100か1000かは個人の資質にも拠りますからね 努力の方向性の採択にも才能が関わってくるので、誤った方法で1000頑張っても実質的には100にも満たない……なんてパターンもあります また、指の短い人にはラフマニノフの曲を弾くのが至難であるように、絵を描くにあたっても目には見えない部分で資質が関わっているのも確かです
>>33
まじでこれ 絵描きの友人のことらしいけど、絵にも関係無いし
努力ができない人たちの困難を書いたノンフィクションが少し前に話題になってたから、本当に気になるなら読むといいよ。ちゃんと統計も出てるし原因の分析もされてるよ
それマイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』からピックアップしたやつだよね…
>>40
読んでみたい なんて言う本?ネットのまとめ?
捻くれた視点から見れば、言い訳にも聞こえるし、嫌味を含んで使う人もいるんじゃない? 言葉はただの言葉で、「努力できるのも才能」は、応援歌みたいなものだと思う。 天が与えたものだけが才能だと思うけど、別にどっちも同時に存在していて良いと思う。ポジティブな考え方だよね。
努力ってつまりは継続力じゃん 継続力は才能だと思うな 絵で言うなら「毎日1枚描き続けたら1年後には上手くなります」、ダイエットでいうなら「毎日30分運動したら1年後には筋肉がついて痩せます」みたいな途方もない話でしょ 「やればできる」は概ね正しいけど、人によって結果がいつでるかは分からないので結果が出るまでやり続けられる人は少ない やりたいと思う人100人、実際やった人10人、やり続けた人1人みたいな格言なかったっけ
努力するモチベーションの維持は性格が影響しそうだから、一応才能だと思う。 知り合いは深刻に悩んでそうなのに自分がそうじゃないからって「努力できない自分を正当化する為の言い訳」って言い切るのは少数派だと思う。 もしかしたらめちゃくちゃ練習しても結果がでなくて「努力ができてない」って誰かに言われて悩んでるかもしれないし。
私も目標があるなら努力できるタイプだったので出来なかったことを全て才能が無かったで片付ける人が苦手でした…。 確かに努力ができるかという才能はあるけれど、努力しないで上達するみたいな近道の方法を見つけたり観察眼や知恵的な別の才能も使おうと思えばあるわけで 自分あったやり方を見つける才能がなく、他の才能を活かしきれてないだけなんじゃないかなって思ってます。 でも、心の持ちようは人それぞれなのでそういう人を理解しようとしてる最中です。でも、本当に何も行動してない人には未だにイラッとしちゃいます。
努力して到達したいと思ってるハードルが人によって違うので、努力が難しい人が怠惰とも言い切れないのでは? 努力は才能というか過程でしかないとは思う。人は結局したい努力しかしないっていうし
「才能」が指してるものが人によって違う気がする 本当に生まれ持ったものor遺伝的な要素と思ってる人もいるし、生育環境によって培われたもの、自分で学習して身につけたもの、などなど
>>47
同感 そもそも「才能」と「努力」はまったく別ものなので、否定的な文脈上であれ肯定的な文脈上であれ比べても意味がない(感情論になるだけ)
『努力できるのも才能』ってそりゃそうだよなと思う。 自分も苦手なものに努力重ねられないから。 でもだからって努力しない言い訳にしちゃいけないかなあとは思う。
>>4
そう 現実ちゃんと見てるから言える言葉
>>33
8と返信 突っ込まれたら敬語捨てるし訂正コメ出す努力もしないトピ主なのでお察し
努力って才能のある人と成功者しか出来ないものだと思ってた 下手くそがいくら頑張ったところで「努力してない」「それは努力じゃない」って全否定されるだけだし
努力出来るのは才能の1つやろ 世の中、やるぞ!って始めてもなかなか続かない事多いよ やっぱりなんだかんだでダラダラする方に行っちゃう人多いでしょ 仕事とかお金絡む場合はやらなきゃ生きていけないから、嫌でも続けるしかないって出来るんだけど
追記、大昔から人々を悩ませてきたから七つの大罪の一つに「怠惰」があるんだし
どんな環境でも努力して成り上がる、立派に生きる人がいる以上『努力も才能』は成り立たない理論だよ なぜなら可能性がゼロではないから、環境は完全な言い訳にはできない できなかった負け犬の言い訳にしかならない 遺伝学はもうホコリまみれだしね、それを使って令和の時代に言い訳してる時点で鼻で笑いたいわ 戦災孤児から社長になる人間もいれば、吹き溜まりで一生グダグダ言う人間もいた でも愚痴るのはみっともないって、昔の人は少なくとも自制心があったけどねぇ ネットならともかくリアルで言われたら引くわ 明日にも行き倒れるような環境でもないくせに
努力しまくって戦争なくしてくれ
>>33
8と返信読んでもいや、創作関係ないやろとしかならないわ 絵師とした雑談は全部創作関連なのか? せめてトピ文を絵と絡めればいいのに