トピ主です。一部追記します。 正確な言い方としては「原作者が日本の人だから、日本語版の完成度が一番高い」というような言い方だった思います。 これは文面だけ見れば間違いではないと私も思うのですが、言い方が額面通りの意味ではなく、トピックで書いた通り「日本語信奉」そのままの口ぶりだったのでもやったという話です。恥ずかしかったというか。
>「原作者の母語が日本語」程度のことが日本のオーディエンスにそこまでの差を与える 日本のオーディエンスには大した差はないんじゃないですか?海外の方には多少の差があると思いますけど。 だって日本語で書かれた物は日本語で読むのが一番だと私も思いますもん。 いくら翻訳チームが整備されていても、日本語にしかない表現や韻を踏んだ表現、地域に根差した表現など、スマートに翻訳するには難しい事が沢山あるでしょう。 あと、言語だけの話ではないですが、作者とある程度共通のバックボーンを持っているかいないかでも作品の理解度には差が出ると思っています。 雪国出身の人が雪国出身の作者の描くさりげない雪国描写に「あるある」となる一方、南国出身の人は多分気づきもしないでしょうから。 洋画の吹き替えや字幕だってきちんとした翻訳家さんが携わっているはずですけど、悪い意味で話題になる事が結構ありますよね。 ミニシアター作品ならともかく、ディ●ニーや超人気シリーズだってそうです。 私自身、英語が苦手なのですが、字幕で映画を見ているときに「え?今、英語でそんな事言ってた?」と戸惑うことがあります。英語得意な友人(非日本人)に説明されないとセリフの意味を理解できないし、聖書に絡めた表現などは説明されてもイマイチ理解できなかったりします。 というか各翻訳版でのニュアンスの差異を考察…と書いている時点で、日本語版と海外版では違うって皆さん認めてません? 作家さん本人が各国翻訳をして差異が生まれてるならともかく、作家さん以外が翻訳して差異が生まれていたら、それは作家さんが意図した差異とは到底思えません。 ○○国ではこういう風に翻訳したのか~と楽しむならともかく、それで作品の意図を考察するっていうのはよくわからないです。
どこの誰かは忘れましたが、以前何かで「シェイクスピアを原語で読める自分は幸せ者だ」と仰るイギリス人の話を見ました。その話の筆者は日本人で、「それなら私は松尾芭蕉を日本語で読めることを幸せに思う」とその後に続けていました。 それと同じことじゃないですか? いくら翻訳に気をつけていたとしても、言語が違えば表現方法も変わります。 シェイクスピアは名言たくさんありますが、訳し方はすごくバリエーションがあります。英文一つに対して、複数の日本語訳がありますよね。それって、まさしく「英語で表現されていることが一番作者の意図に近い」ということなのではないでしょうか。なのでその方の発言は特に気になりません。というか国は違えど皆どっかしら思ってることだと思います。前述の二人だけでなくサン=テグジュペリやらドストエフスキーやらゲーテやヘッセ、西遊記や水滸伝やらあげればきりがありませんが…。 でも、トピ主さんの仰るモヤモヤもわかる気がします。テレビとかで見かける「日本語信奉」にはうんざりします。「他言語話せないのは不勉強なだけなのに正当化してるだけじゃん…」とも思います。そういう私も英語話せないですけどね。違っていたらすみません。
日本語信仰、日本信仰はうんざりしますが、日本語話者の作品は日本語のものが1番原作の意図に近いと思いますよ。 私は海外作品のジャンルにいますが公式であれファンメイドであれ翻訳と原語とのニュアンスの違いにもモヤります。 その文化に当たり前のようにある慣用句とかスラングは他の文化、言葉の国に落とし込めないんです。 なんなら翻訳者、翻訳チームの意訳が入り原作者の意図しない意味も加わったりします。 海外のオタクでアニメ漫画のために日本語を覚える人もいると聞きますが、公式の翻訳がないだけではなくより自然に物語を楽しむためでもあると思いますよ。
その他言語に翻訳されたものには、必ず訳者の影響を受けます。 漫画に限らず、映画の字幕や古典の現代語訳だってそうです。 原語版と他国語版とでは、ニュアンスの違いがあったり慣用表現の言い換えがあったりと、何かしら差があるものです。 自分の経験でいうと、日本語原作の翻訳版を読んだら、特定のエピソードが意図的に削られていた(同性愛的表現がタブーの国だっので、そのような表現が全て書き換えられていた)こともあります。 原語版と他国語版との差異から、原語版のセリフの意図を理解する・考察するということもやりますが、結局は原語版における描写や表現が最も作者の意図に近くなると思います。 他言語版との比較から原語版への理解を深める人と、原語版のみを正典として楽しむ人との違いが出ただけの話に思えます。 原語版のみを信奉する原作厨にとっては、たとえ公式マークが付いていたとしても他言語版やその他公式派生作品というのは邪道に見えるものです。
私は海外ジャンルにいますが、作成言語が一番解釈に近いと思っています。 ジャンル柄ローカライズもきっちりされていて同時に日本語訳もしっかり出るようなものです。 それでも「どういう事だ?」となって原語を見て納得する事は多々ありますしニュアンスの違いはトピ主さんが楽しまれているように必ずあってそのニュアンスの差で他言語が母国語の受け取り手の場合、意図しない方向に受け取るときもあります。 (現ジャンルで、え?そういうニュアンスなの?みたいなのがありました) 正しいとまでは言いませんが作成言語で読んだ方がいくら母国語でなくてもちゃんと伝わりやすい。というのは間違いではないと思います。
トピ主です!一晩でコメントたくさんありがとうございます!大変興味深くゆっくり読ませていただきました、勉強になりました。 この返信が適切なのか分からないのですが、頂いたコメントを読んだ今自分が持った考えを書きます。 コメントをくださった方々の冷静さや、ひとつひとつのご意見がそれぞれ尤もである、ということから氷解したのは、今回の話で私が一番もやもやしたのは翻訳云々というよりもそのフォロワーが 「自論が正しいのは自明」という態度で説明を怠った挙句、ジャンルファン内での立場(その場では神絵師に当たった)に胡座をかきその威圧で周囲になし崩し的に同意させていた点 であり、また その場にいた別のフォロワーさんたちへの無礼な態度に対して、問題のフォロワーが平然としていた点 であるということでした。 コメントの後で自分のトピを再度読んで、自分も「公式が多言語展開してるんだから全部公式でしょ」という「持論」を押しつけていた形になっていたと気が付きました。トピを読んでご不快に思われていた方がいたら申し訳ありませんでした。 濁す置き換えのために原作者が個人かのように書いたので、いただいたコメントは全て的を射ており、繊細な表現を他言語でカバーしていることを原作者が全言語で監修できない以上、また翻訳の作業で何が行われているか私たちには情報がない以上、各視点において正しいということを理解した上で補足しますと、 今回の話の“原作者”(ディレクター/監督/美術監督など制作のトップ)に当たる存在は少数グループのスタジオであり(でかめのCLAMPみたいな)、その所在地が日本である、という話からスタジオの外国籍メンバーを全く無視するような発言だった点にも反応していたということはあります。 長々と書きましたが、原作者の母国語で理解するという形に利があることは私も理解しており、その点は全く否定しません。それは私もそう思います。 ただ、それは単に母国語話者の幸運やメリットであり、他の言語で楽しんでいるファンとの優劣には繋がらない(少なくとも大声で言うのはよろしくない)であろう、およしよ。というのが私がそのフォロワーに言いたいことです。見てないとは思いますが!!日本人のアタシが一番推しをわかってるって態度!!下品だぞ!!!以上です!!!!!! 皆様貴重なご意見を本当にありがとうございました。ねちねちと気にしてるってバレたらジャンルで気まずかったのですごく助けられました。ありがとうございました。
公式の翻訳家でも誤訳って結構あります。 けど、公式の翻訳だからこそ丁寧な翻訳もあるわけですよね。 ■訳すことで劣化・誤訳する例 言葉というのは単に「言語」だけでなく、その話者である人々の文化的背景も多大に影響されます。 ・ジョーク ・ことわざ ・ギャグ ・韻を踏む ・固有の概念 「布団が吹っ飛んだ」とか「ホットケーキを放っておけ」とかのギャグは訳すのが難しいですよね。 「目の黒いうちに失せな」という表現は、目が黒い人にしか使えません。 「先輩」という日本語は、それに相当する英語がないためにそのまま「senpai」とされているなども有名な話ですね。 概念が伝わった後でなら通じますが、それを知らない人に向けて「先輩」を違和感なく文学的に訳せと言われるとなかなか難しいですよね。 どうしても脚注とかにせざるを得なかったりもします。 これらは訳しにくい表現の典型ですが、他にも誤訳になりえるものもあります。 ・聞き間違い 「17時の待ち合わせだと思ったら11時だった」 「じゅうしち」と「じゅういち」の音が似ていて聞き間違えた、という話ですね。 英語に訳したところで「なぜ時間を間違えたのか」は非常に伝わりにくいです。 ・造語 「mindripper」という単語、mind + dripper と捉えて「精神ドリッパー」と訳したところ、 mind + ripper で「精神裂き」が本来の意味に近かったという、誤訳の例です。 造語の多くは韻を踏んでいたり語呂が良かったりで勘違いも多いです。 ・象徴 例えば「鳩は平和の象徴」とはいまの日本人なら既知のことかと存じます。 しかし、「タコは悪魔の使い」というイメージは欧米で根強く、そのため忌避されがちだということはピンとくる日本人はまださほど多くありません。 単に「墓に花を供える」でも、花の種類やそれに込められた意味も変わってきます。 言葉を訳すということは、同時に読み手の文化も変わるということになるので、そこまで考慮した訳をするのはなかなかに至難の業です。 そもそも翻訳者が作者の意図・解釈を正確に掴めなかった場合は「誤訳」になってしまいます。 ■訳す過程で作者の意図が分かる場合 ここまで、翻訳によって誤訳・劣化する話をずっとしてきましたが、翻訳によって逆に作品への解釈が深まる例もあります。 「またね」と言うと、私は通りを歩き始めた。 I said, "See you later," and started walking up the street. これはとある本を英訳するにあたって、作者が明かした逸話です。 作者は特に気に留めていなかったこのシーンについて、翻訳家が「歩き始めて向かったのは南ですか、北ですか?」と聞いたのがきっかけだったそうです。 「そんなこと聞かれても困る、なんでそんなこと聞くの?」と。 そこで出てくるのが「up the street」と「down the street」です。 通常、「またね」と言って離れていくわけなので「walking down the street」が正しそうです。 しかし作者の意図としては「目的地に近づいている」描写だったそうなので「walking up the street」と訳すのが良さそうだね、と。 日本語は非常に曖昧な表現の多い言語だとされています。 それが読者の想像性を掻き立てる表現になることもあれば、逆に勘違いの解釈を生むこともあります。 「アイツ、許さねぇ…!」 アイツとは男なのか女なのか。 言葉によってはそういった程度や度合いを訳すためにハッキリさせる必要があったりもします。 それが良い例もあり悪い例もありますが、少なくとも公式の翻訳であれば作者に直接問い合わせたり意図を確認することが出来ます。 ここはボカしたままで訳して欲しい。 こっちはこういう意図だからこう訳して欲しい。 私は「原作者が日本の人だから、日本語版の完成度が一番高い」という話においては「日本人だからこそ欠けてる視点や考え方もある」もんだと思います。 言葉の裏に隠れた意図を理解するために、別の表現系である「翻訳文」からアプローチすることもまた有意義になることもあり得るのではないかな、と。 そういう意味では、翻訳版も読むのは「原作を120%楽しむ方法」じゃないかと思います。
トピ主です。出していただいたサンプルの数々を楽しませていただき、最後に「120%楽しむ」と言っていただきソレなんだよなぁ〜!!!!と心が解放されました。 文化背景の違う人たちに同一コンテンツを渡して体験が異なることとどのように関わっていくかというのは、クリエイターの方々があらゆる分野で骨を砕き日々改善改良が重ねられていることです。言葉は時代でも変わりますし、終わりのない仕事でもあります。私はそういう面白さに出会えたことも含めて今のジャンルに出会えて本当によかったと思っているので、頂いたコメントで初心を思い出しました。ありがとうございました。