二次創作の字書きです。 映画主演のひらてちゃんが好きなので観ましたが、当て書きでリアリティが薄いなぁと思いました。 キャストを観に行ったようなモノだし、実際キャストのビジュアルを楽しむ映画だと思ったので字書きとして云々を考えるほど深く捉えなかったです。 漫画は読んでないです、すみません
コメントありがとうございます。 実は脚本はほとんど原作通りなので当て書きではないんですよね。 リアリティ薄いってのには同意です。 「素晴らしい作品」の中身がほとんど描かれないので、どう素晴らしいのかがあまり伝わってこないんですよね… バクマンやSHIROBAKOだと実際に作品の過程も描かれるのでリアリティあると感じるんですが、響にはそれがほとんどない。 あるのは飽くまで作家たちの苦悩だったりが描かれるだけなので、小説のなんたるかはあまり作品からは伝わってこないな…と個人的にも思っていました。 一緒に見に行った友人も「キャストで見に来た」って言ってたので、作品自体はあまり印象に残らなかった人が多いんですかね…?
字書きです。響の漫画大好きですよ。天才小説家、羨ましいなあと思って読みました。 まあでも正直あの作品は、響の才能について、というよりは響の才能に付随する周囲のアレコレと響の人間性が起こす化学反応をエンタメとして外野から楽しむ話、みたいな…響が書く小説の内容をメインと思っていなかったのであんまり御伽の庭の中身について、とかは気になりませんでしたね…でも吸血鬼の話でペストと絡めようと思うのは個人的に発想力違いすぎてすげーと思いました…読む小説の幅が違うんだろうなって…小説を読む量が桁違いの人が、桁違いの作品を書く、というのは私のような凡人に優しいなと思いました。納得のいく天才、的な意味で。 私自身は、あの漫画を読んだ後には大体小説書きたいなー!よりは小説読みたいなー!になってしまうので 書いてる人達の方に心を寄せる、ということはあんまりなかったですね…。
響読んでないし通りすがりが横から申し訳ない けれど、吸血鬼とペストのワードでちょっと面白いなと思って反応しちゃいました ペストの流行した地域に吸血鬼や人狼や人狼の噂が色濃く残るのは、ペストもしくは吸血鬼や人狼の歴史を知っている人には知られていることなのだけれど、きっと天才小説家の主人公はその知識を組み込んだ作品を披露する場や相手を選ぶことで読者の感情をコントロールしているんだろうなって思えて面白いですね 欧州歴史クラスタやオカルトクラスタに言ってもみんな知ってるけど、知ってる話は安心感があって読みやすい。 普段あまり歴史に触れない層は知らないから新しくて面白い!って興奮する。 そういうコントロールをいろんな作品できちゃうのが天才なんだろうなぁ、と 上記の想像が合ってるか知らんけど折角だから響観ますね
響の行動が暴力的すぎて、実際傷害事件を起こしたらどうなのだろう…とモヤモヤします。 暴力に目をつぶるほどの素晴らしい作品なのかも知れませんが、自分には合わなかったです。 周りが優しい世界ですよね。 各キャラの書く小説や漫画もイマイチどういうものかわからないですし… 合わないと言いながら、漫画も映画も見ました。読ませる力はある作品と思います。
横反応サンクス 吸血鬼とペストは界隈では常識なんですね〜知らなかったので知れて嬉しいですありがとうございます 響としては吸血鬼って血を吸うじゃん?絶対感染症起きるじゃん?みたいなところから話作ったって言っていて、私はその発想力〜と思ったんですが作者さんはそういう土壌が既にあることを知っていたんでしょうね…!! 個人的には響は読者を計算して小説を書いていないタイプだと読み取ったので(この話も、ラノベの賞レースで吸血鬼のイケメンの話を書こうと思った友人へのアドバイスのつもりで書いてます ラノベの読者層考えたら多分こんな歴史絡めた難解めな題材で書かないと思う)無意識というか、意図はしてないんでしょうけど、 意図せずとも誰にでもウケてしまう作品を書けるのが、響がブームを巻き起こした一因なのではないかと思います。 私、映画は観てないので出来がわかりませんがぜひぜひ〜漫画も面白いのでぜひぜひ〜笑
芸術分野での天才を描くのって多分相当難しいんだと思います。 響とは別の作品の話になるのですが、物語の中で天才と称される登場人物の作品がまっっっっっったく良くなくて「これで天才なの…?」と真逆の衝撃を受けたことがありますので…。 作中で内容に触れないというのはそういった懸念材料を無くす目的もあるのではないでしょうか?
お二方ともコメントありがとうございます。 吸血鬼の話は、実は私も知っていました。 都市伝説系のテレビ番組かなんかで紹介されてて、見て覚えていました。 なので確かに「あー、その話ね!」と知っているからこその興味や共感というのは読んでる中で感じていました。 既知のことってあんまりドヤ顔で描けないことが多いし、かと言ってじゃあ知らない人にどう伝えたら良いんだろうと悩むことが多いんですが、お二人の話すように「意識的な計算が無意識にできる」って感じが悪印象もなく、けど強烈な印象を与えられる秘訣なのかもなーと思いました。
コメントありがとうございます。 SNS全盛期、私はモヤモヤよりもハラハラがかなり強かったですね…。 ただ漫画の中だからこそ「こいつ殴ってやりたいけど出来ない」を殴って叶えてくれる痛快爽快な展開に出来るのかもなーとは思いました。 よく「作品で殴れ」なんて表現はありますが、そうは言っても「そもそも読んでくれない」なんてこともあります。 響は一貫して「まず読め、話はそれからだ」的なことを言っていますが、そのキッカケとして物理で殴って、更に作品でも殴る。 殴られた側は2回呆気にとられる。 それが響のスタイルなんだな、と私は捉えました。 だから殴られてるのを見てる周囲は問題視するんですけど、殴られた当人はさほど問題視してない印象もありましたね。 映画版ではそこの表現がやや違ったので、個人的には漫画版の方が好きでした。
コメントありがとうございます。 そうなんですよね。 天才でなくても天才は描ける、というのはあると思います。 天才ハッカーでなくても天才ハッカーキャラは登場させられる。 けど、どう天才なのかは描けない。 その分野の天才ではないから。 具体的に描こうとすると、その「どう天才なのか」が実は凡才のそれだった時にまったく納得できなくなってしまうんですよね。 だからある程度はボカして描くのも方法の1つだとは分かりつつも、 多少なりとも方法論とかに落とし込んだ描写があったほうがリアリティがあるよなぁ、とは感じます。 芸術分野でも「素晴らしい作品」と描くことは出来ても、どう「素晴らしい作品」なのかを描くのは本当に難しいと思います。 それでも響が面白かったのは、作品の内容の天才云々よりも言動面での突飛さが天才的に描けてたとは思います。 そういう意味では、「バクマン」や「ナナのリテラシー」のようなその分野の天才キャラではなく、 「コードギアス」や「約束のネバーランド」のような発想系の天才キャラの描き方が強かったかな、と。 そういう話だとテレビ局の話とかは、発想面白いなーって思いました。