月残業40時間以上で同人・創作活動を両立してる人いますか?
今年から転職しました。前職では残業月10~20時間程度だったのが平均月40~50時間程度になり創作できる時間が明らかに減っています。 土日祝は休みなのでやろうと思えばやれるはずなのですが、つい昼過ぎまで寝てしまったりソシャゲやYouTubeを見てボーっとしている間に一日が終わってしまいなかなか生産的な活動をできません。 そろそろやらなきゃと思ってももうちょっとゆっくりしたいとダラダラを続けてしまい創作活動への意欲自体が減っている感じがします。 仕事がすごくキツいというわけではないのですが、このまま創作への意欲がなくなりまったく作品を作らなくなるかもという危惧があります。 忙しくても同人誌を出したり創作活動と並行している人はいると思うのでそういった方がどのように仕事と両立してるのか時間の使い方や、休みの日にダラダラせず切り替えて作業するためのコツを教えてほしいです。
第一に続ける事かな
これ
これ。 あと完成させること
Xで「五美大レベルは 美大受験を腐らずに走る根性はある意味才能」を見かけた後だからタイムリー 芸大とか7浪ザラにいるんだっけ?
努力を続けることは才能の一種だとは思うけど、自界隈には萌えもオチもない短文を支部に数年間毎日のように上げ続けてる方々がいるのでそれは才能とは言いたくない… 試行錯誤や完成した創作物への振り返りがあってこそ初めて継続に意味が発生すると思う
継続できない人がいる時点でそれは才能だと思う ネタ切れしない、思いついたものを形にし続けるという種類の才能じゃないかと 才能があってもわかりやすい努力をしているかは別の話なんだと思う
料理やゲームを10年20年やっても才能あるとは言わないし続けることを才能があるとは言いたくないな 下手くそのはただの執着 続けることは最低限でそれ1本で生活できるかどうかの線引きは欲しい
売れること=才能じゃないって物申すで出てたけど、創作専業で食っていけるならもうその時点で才能ある側だと思う 逆に食ってけないレベルで「私は才能がある」って主張されてもそれはあなたが上手いと思い込んでるだけでは?と思う こんなふうに私はお金になるかって部分を重く見ているんですが、皆さんはどうですか?
お金を払ってでも見たい手元に置きたいと思わせられるのも一種の才能に違いないとは思うけど、死んでから評価された画家や文豪もいるわけで… 今は当時に比べて見つかりやすくなったとは思うけど
売れているからといって才能があるとは限らないって思ってるけど、ここで言う才能は技術力の高さのイメージ 一見技術力がやや足りないように見えても売れているものはカリスマ性があるってことなのかなと思ってる。大衆を引きつける特別な魅力 でもカリスマ性を持っていることも広い意味で才能と言える気もするので、そういう意味で考えるなら売れている=才能があるなのかも それで食べていけるだけの突出した何かがあるのは間違いないと思う 逆が成り立つかはわからないけどね
ものすごい大ヒットを飛ばした作者でも前作は全く売れず打ち切りとかよくある話だけど、それに関してはどう考えてる?
私もお金になるかは指標だと思うな 人の感情を動かし強く記憶に残ることと言ってもいいかもしれないけど SNS時代の今ほとんどは結果として↑になるはず(プロを希望しない天才というのもいるけど選択肢があるというのが大事) しいていうなら見つけられるまで続けられるか、見つかるところにいれるマインドがあるか、もあるかな
これ言ったら小説家の99%は才能ない人になるね 特に純文学なんて食っていける人ほぼいないので
心身ともに健康である事 メンテナンスの領域に入るかもで その分野に突出した才能が部分的にあってもこれで消える人がそれなりにいる、どの業界でも 才能のなさについて思い煩う事も特権か醍醐味とは思うもののそれは程々に、趣味であれ賃労働であれなるべく病まない範囲でやってほしい 既に上で出てる持続的である事に勝るものはない
最近はフィジカルも重要だなと思い始めた… 努力も継続も根性も体力があってこそ 学生時代に運動部入ってたって人ほど長く創作続けられてる気がする
・既存のものや価値観を疑う勇気(非常識や残酷さとも紙一重) ・自分にとって未知の領域に心を寄せる勇気(自分の弱さや恐怖と向き合わないといけない場合もある) ・ひとりぼっちになる勇気(世の中にまだないものを作るってそういうことなので)
立てるだけではなんなので少し考えをまとめてみました。トピ主が字書きなので小説においての意見です。 あくまで自分の中での整理なんですが、創作の能力っていくつかに分解できると思っていて 構成力、発想(独自性)、文章(読みやすさや文体)、感情曲線、読者へのフック、需要の読み(想定読者の設定)、キャラの求心力、テーマ性、知識量、運あたりに分けて考えています この中で、 構成やフック、需要の読みみたいな部分は、理解して再現することが可能で、努力で伸ばせる領域だと思っています 一方で、 ・発想の初期値(何を思いつくか) ・文章のセンスや文体 ・自分が書きたいテーマと読者ニーズの一致 ・タイミングや巡り合わせとしての運 このあたりはコントロールしきれない部分があって、自分はここを「才能」と呼んでいると気づきました 特に、 本人の中から自然に出てくるものが、そのまま他人にも刺さる状態 (=書きたいものを書いてウケる) は再現が難しくて、ここに差が出る印象が強いです 逆に言うと、それ以外の領域は分解して詰めていけばある程度までは到達できるので、全部才能とも思わないし、「全部努力とも思ってないかなと あと二次創作に関しては、需要や解釈の適合がかなり大きいので、 商業や一次創作の「才能」とはまた別軸の話だとも思いました 結論としては、 再現可能な領域と、どうしても個人差が出る領域が混在していて、後者を才能と呼んでいる っていう認識に近いです
関係ないけどトピ主字書きなのなんか納得 トピ分長いのに読みやすくて分かりやすいと思ったんだよね
旧クレムでトピ立てては消してた荒らしとトピ文にそっくりなんだよなぁ…
これね 何度も同じような感じで立てては消しを繰り返してた AIに作らせたような文体もそっくり https://cremu.jp/archive/topics/77339
ここで言っても仕方ないですがこのトピは私ではありません クレムは半年以上離れていてリニューアル後に戻ってきたのでトピ立ては久しぶりです 私が以前立てたトピは寄り添い1からの連番数件です 箇条書きに・を使っていることは一致していますが、現在壁打ちのため人間関係に悩んでいませんし、創作ジャンルも一次創作です
特徴は箇条書きだけじゃないんだよなぁ 本人は気付いてないっぽいけど
想像することはご自由になさってください これ以上はトピズレなのでおやめください
そこそこである事。 その時点で周囲にそれを評価する似たような感性と尺度の者がそれなりにいる範囲に収まっている事。 天才か狂人の域になるとほとんど理解する人が存在しなくなり、よほど運がよくないと厳しい。 尚、99.9999%の人間はこの事を心配しなくてよい。
「運も実力のうち」って言うから最終的にはその「運」のことを才能って言ってるのかなと私は思ってる ストーリー構成とかは脚本術を学べば上手くなるし、画力・文章力も学べば上手くなるし、ジャンルや市場の需要を見るのもマーケティング等を学べば上手くなるし、1コメが言うような継続も(クオリティ関係なくていいなら)支部にえんぴつ書きを連投する闇深絵師とかいるし誰でもできると思うからそこは関係ないと思う ただ上に挙げたようなことをクリアして狙って「トップ層に入る」ことは出来ても「No.1になれるか」は別だからそこが「運(才能)」なのかなと思う
作品としてちゃんと完成までが周りより圧倒的に速い人、つまり手が速い人 創作の世界だけに限らないけど、断続や成長、学習は他人の手や自分の努力でいくらでも工夫できるけど 生きてる速度が違うんじゃないかってくらい手が速い人ってのは努力や成長で手に入らない才能だと思う 子どもの頃に自分の特技の領域にこんな人がいて子どもの時点で全てが決まると実感した
個人的には文章のセンスがある人に惹かれます。言葉選びや比喩表現が卓越している人。難しい言葉を使ってないはずなのに情景が思い浮かぶ。文章を読んでるはずなのに映画を見てるような感覚にさせられてしまう。 真似しようとしても何一つ盗めない、唯一無二って感じ。 ただ東野圭吾みたいな、文章はサラッとしてるけど話がクソ面白い人もいます。だから多分天才っていうのは文章が上手いだけではないんでしょうね。 構成も文章も訓練すればそれなりにはなると思います。 でも物語の根幹を成す発想力とか、文章で頭を殴られるような一撃とか、ここでこれを使うのか!と驚いてしまうような言葉選びだけは、生まれと経験と地頭が物を言うと思います。 天才になりたい!
何かを諦めたい、もしくはめげている際に己を慰撫するための都合の良い言い訳 近年は創作の場で才能以前の話によく見かける言葉なのでこういう印象
めちゃくちゃよくわかるし腑に落ちる 特にわざわざSNSとかの公の場でメソメソしてる甘ったれが使ってる印象
絵なら 4色型色覚とかの色覚系と空間把握能力、微調整がきく手先 字なら 記憶容量と直感的起草力や規模の大きな思考実験できるCPU このあたりはフィジカル的器質なんで持って生まれてる才能でしょ
それ生まれつき知能が高いと有利だよね 逆にボーダー知能みたいな人も存在する訳で。 スポーツなら生まれつきの骨格や筋肉のつく体質などの身体能力も才能のうちだよね 黒人がそれだし、競走馬なんかも速い馬を掛け合わせるし
遺伝的に優れた器質は確実に存在するけど、差別に繋がるしどうにもならないなら言わないでおきましょうね、が蔓延してるだけだからね それじゃなきゃデザインヒューマンの話なんか出ないよ 才能とは?ってある前提の話ししてるところに才能なんてないもんって否定しにきてる人達は、そもそものトピックにあるようになぜならばの部分添えてよ
ある程度以上のクオリティの物を「難なく・楽しく」完成させることを継続できることが「才能がある」なんじゃないかなと 物申す《321》の77コメで 『二次BL小説を特にこれといった練習もせずに難なく書けて、しかもどの界隈に行っても上澄みに居られる自分、平均的な人より小説書く才能あるんじゃね!?って思うことはある』 って書いたんだけど、「難なく・楽しく」が重要だと思ってるから自語りしてみた でもこれ、小説を書く「才能がある」ではなく、小説を書く「適性がある」なのかもな〜
なるほど 「才能」と「適性」は似て非なるものってことかな? 適性あるなしがまずあって、その上に才能あるなしがある感じかな
文章が壊滅的なのに映画化までした山田悠介のリアル鬼ごっこ 「後ろで大きな爆発音の音がした。 俺はびっくりして驚いた。振り返った。」 自費出版で校正が一切入らない山田先生のこの文章でも ・発想力、着眼点、目新しさ の才能で大ブレークです 14さんのいう豪運が大きそう
そもそも「才能」って言葉が嫌いだわ。 人の血の滲むような努力をそんな言葉で片づけないでくれよってなる。 「才能」って言葉は怠け者が自分を慰めるための言葉だと思ってるよ。 才能なんてものはない。
素振り一万回してもホームラン打てない人には打てないのよ 原因と因果が逆なの そこに気が付けないなら素振りして終わるけど、素振りしてたら安心するタイプみたいだし脇目も振らずどうぞ
インプットや学習大事だよね デザインとかセンスじゃなく色彩や余白、文字の選び方、レイアウト諸々勉強することができる イラストも今は講座や解説動画が溢れてるし、漫画もコマ割りやどうすれば画面映えするか改善点学べるしストーリーも小説や映画や脚本の勉強するとグンと伸びる 勿論最初から才能があってうまくできる人もいるけど「1万時間の法則」と野球なら大谷の「人生設計シート」のようにやりたい事に特化するなら効率的に小さい頃から時間をかけるが重要
世に出る準備を万全にしておかないと表舞台に上がれるチャンスは回ってこないし回ってきても続かない プラス「運」だと思う 編集の好みとか家族の応援があるとか
小説って、技術的な上達というのはすぐ頭打ちになる。 いうて日本語なので、頭が良くて基礎ができてる人は、最初から技術的に上手く書けることも多いので、技術的な伸び代は少ない。教本はそれができてない人のためのもの。 学校の国語で習う基礎的な文法や、脚本術のメソッドなどが教本にあたる。 その前提の上での話だけど、ある程度の技術力があると、もう話の内容で勝負するしかなくなる。 小説って「思考」そのものが出るし、発想力や物語を生む力に左右される。 それは教本では得られないものなので、いかに人生を豊かにするか、実体験や触れてきた創作物などを人生経験として、それをいかに自分に落とし込んで物語として組み立てられるかが重要になってくる。 つまり、教本では学べない得られない部分が「才能」って言われる領域なのではって思う。
↑これは旧クレムの別トピに書いたことがメモに残ってたので、それを加筆修正したコメです。 同じようなコメ見たことある人がいるかもだけど、パクとかじゃなくて同一人物が書いたコメなので、あしからず。
わかる 教本を読んだりして努力でどうにかなる部分「ではない」ところが才能の差って感じする 主に発想力だよね…わかるわ…
本当そう。同じ題材でも見せ方が凡庸なオチなしSSとは違う。前段のネタを思いつくところから頭抜けてる。日常の見方、切り取り方っていうのが冴えてるんだろうね。
二次創作で気にする必要のないもの
字書きなので小説について 全てが違う。読んだ時にそれが体感でわかる。嫉妬を感じる余地がない。読んだら喜びが沸くし、もっと読みたいと思う。陳腐でありきたりなことを書いている筈なのに、何もかもが高いレベルで飛翔している。しかし、本人にはそんなつもりがない 天から授かった才はあると感じたな…
主観すぎるけど、一回読んだ/見ただけなのに強烈に印象に残ってて、生活の中でたびたび思い出して考えちゃうような作品を作れる人は才能がすごい!って思う 他人の価値観・人生に侵食できる作品が書けるかどうかは才能な気がする! ただ露悪的だったりセンシティブな作品は印象には残るけど、人生観をゆるがす傑作はまた違うよなーと感じる
めちゃくちゃわかる。露悪的な作品が嫌いだから安直にそういう物使ってバズろうとしたりする作品みると、ブロックしちゃう。 人の心に刺す作品ってそういうものじゃないよね。
字書きの個人的な意見 読み手に「最後まで読みたい!」と思わせる話を書けることが才能だと思う
なにかを真剣にやってたらわかる、才能っていうのは絶対に存在する。勉強でもスポーツでも芸術でも。 1を教えて10学べる奴に、1教えて0.5吹っ飛ぶような奴は敵わない。1教えたのに-10になるような人も沢山いる。 この差は絶対に埋められない、酷い話だけど。 でもだからって天才を攻撃するとかはダメだし、才能がない事が努力しない理由にはならないって言うのはそれはそう。
中学生くらいからオタクしてて二十年近く2次創作の小説を大量に貪り読んだけど才能を感じた書き手に今まで二人くらい出会えたな 暴力的な表現があると記憶に残りやすいのはその通りだけどその二人の書き手はそういった表現は少なめで、あっても控え目なのに強烈に心を揺さぶってくる 起伏の少ない平和なハピエンな内容でもずっと心に残り続ける小説を書く人だった 一人は十年くらい前に商業デビューしたし、数年前に見つけたもう一人はやっぱり最近商業デビューした
才能が何であろうと創作活動において決定打でも必要不可欠な要素でもない
すみません書く場所間違えてたみたいなのでこちらに書きますね(物申すの方は消せなくなったので適宜非表示対応お願いします) 才能というか能力の差ってのは存在すると思う 知り合いにほぼ同じ年数絵を描いてる2人がいて、漫画家志望になると言った片方は割と早めにすんなり名刺をもらって、本命で担当ついた後現在は連載準備中 もう片方は前者よりもずっと前から漫画家志望と言ってたけど未だに名刺の1枚も貰ったことがない 前者はPDCAサイクルガンガン回すタイプで理解力もずば抜けて高くて指摘もすぐ次作で直せてたしなんなら同人誌も基本早割 後者は描くのはいいけどフィードバッグ受けると落ち込むタイプでアウトプットもあまり上手くいってないようだった 締切も基本通常か特急、コピ本 前者を才能とも後者を無能とも言わないけど少なくとも差ってのは存在すると思った
絵に限らないけどシンプルに体力、というか健康 最初は下手でも描き続けて試行錯誤できれば自然と上手くなる 自分の場合、病気で体力が激減して逆に下手になってしまった
時代に愛されたかどうかだよ
よくある仕事絵のような正確なデッサンとリアルな塗りなら勉強して時間掛ければどうにかなるんだよな。だから絵の才能はそれ以外の感覚的な部分にあるとおもっている。 それが色遣いだったりデザインだったり様々だけど共通しているのは誤差レベルの差に気付く能力が高い事。顔のミリ単位の差で印象が変わるように、自分の感覚で細かい部分まで調整しているんだろうな
主語が「創作における」だから、人に届けることを前提に他者の欲求を満たすものをうまーく出せる事を才能だと自分は感じる。 仕事なら、クライアントのニーズを上手く積んでそこにアジャスト出来ること 趣味なら、界隈やジャンル内の流行りや雰囲気を掴んで上手くお出しできること かなって。 スキルがどれだけ高いかとか、作るものの密度やテイストがどうのみたいな話は、届ける過程における技巧や部品の凄さの程度なので、創作における才能とは関係無さそうに思う。努力すれば/技巧が凄ければ届くというものでもないしなぁ
評価されてる=天才とはまではいかないけどやっぱり才能ある人っているよね リア友の字書きがメンヘラ気質でよく垢消し転生するけどフォロー0の新規垢だろうとどんなジャンルでも評価されてる 学生時代から色んな作文コンクールで賞取ってたし、一次純文学でも評価されてた でも創作はあくまでも趣味だから練習とかは特にしてなくて…みたいな感じの人で、同じ字書きじゃなくて良かったと思った 親が毎日絵本の読み聞かせしてたらしいから生育環境も関係ありそう
もう既に上げられてるけど発想力は同意。 そして、稚拙な技術力を凌駕する「見る側を引き摺り込む力、読ませる力」がある作品は、絵・漫画・小説ともに生まれ持った才能が無いとできないと思ってる。 下手なのに読んでしまう作品や追いたくなる人っているんだよね。 単純に自分が才能あると感じるポイントが「感情を揺さぶられるかどうか」を重視してるだけなので、あまり多数派な意見ではないと思うけど。 ただの上手い作品とただの下手くそな作品があったとして、感情が揺さぶられなかったら、どちらも凡庸な作品という点では同じかな。
横から失礼。これめちゃくちゃわかる。プロ並みの画力や構成力といった技術をもっているというわけではないけど、更新されたらつい読みにいってしまう作品はある。
共感ありがとう。 気になって見に行ってしまうとか、否が応でも振り向かせて釘付けにする力のある創作ってあるよね。 前に飛翔アプリのルーキーの読み切りで佳作にあたる賞の作品が、編集総評でページが長い(80Pあった)と言われてたけど、全くP数が気にならないほど引きずりこまれたんだよね。 画力が突出してる訳でもないし、総評の通り80Pもあるから、雑誌に掲載する商業漫画としてストーリー構成は上手くはないんだと思う。でも読ませる力があった。コメントでも同じこと言ってる人は多かったよ。 そういう「マイナスを凌駕してしまう心を捕らえて離さない創作」は技術で計算してできるもんではないなと思う。
良スレあげ それで生計を立ててる、っていうのは才能の一つの指針だと思うけど 一方でsnsとかでたまに出す絵や漫画に、この人でないと出せない痺れるような個性や才能をビシビシ感じるアマチュアも見てきているので、 この二つは別軸としてそれぞれが存在すると思う。 商業的にはかなり寡作で生活はできていないだろうけど天才だ、と思う商業作家もいるし。 「それで生計を立ててる」と「痺れるような個性と才能を感じる」は両立することもたまにあるけど、でも後者の痺れる才能系の人って寡作だったり、創作を辞めちゃう人も結構多い印象。こんなに描けるのに活動してないなんてもったいない、と思う人は何人もいる。 生計を立ててる系の人は世の中のニーズをくみ取るのがうまくて(安定した収入のために必須の条件だと思う)、一方痺れる才能系の人たちはニーズなんか知らんみたいな自分の描きたいことを描きまくるその姿勢がいい!みたいな感じの人が多い。 後者型の才能に憧れるけど、再現性が高いのは前者系だと思う。でも前者系もニーズを読み取ってるはずである大勢のの中から抜きんでないといけないんだから別の苦労がある
Youtubeチャンネルだと「バーバパパ」「ARuFa」そして雨穴をパロディした「雨穴子」が良かった。投稿数が少ないからこその品質がある。同じネタにこだわらない所もポイント。 一般的に投稿頻度の高い人ほどクオリティが落ちる。寒いネタ連発してる某書道家チャンネルなんかはオススメから外した。
良い作家ほど自分の中に優れた読者がいるって良い表現だなって思う
才能って本人が意識(自覚)してない部分なイメージ そもそも才能ってくくる意味があるのか疑問 全部生きてきた中で身につけたものだと思う 継続できるのも努力し続けられるのもアイディアがたくさん出るのもそれをまとめられるのも全部その人が生きてきた中で身につけたスキルの上になりたってると思う
才能とセンスって同じものなのかな? 才能あってセンスないとかありえないけど、才能なくてもセンスだけはあるとかはありえるのか? センスがあるってつまり才能があるってことじゃないか? …と考えてみたけど自分では答えが出なかった
センスって努力で向上する部分というイメージがあります 例えば台詞のセンスとか、時流を掴むセンスとか 例えるならカラーコーディネートとかは勉強である程度「正解」に近づけるけど 正解以上の 新しい「良い」を生み出せるのが持って生まれた才能 という気がします もしくは勉強しなくても正解を選べる場合も才能であると感じます