創作の中で「笑い」は弱い感情なのか トピ主はギャグ作品が好きです。
自分で創作するのも好きだし、所持している同人誌の過半数はギャグ作品です。 しかし、引越しの準備をしているときにふと「各ジャンルで一冊だけ同人誌を残すとしたらどれか」と考えたときに、どのジャンルでもギャグ作品を選べませんでした。 涙が出るほど感動したシリアス本や、ギャグ要素ありでも(特に最後の方になると)シリアス要素が強い作品がほとんどです。 よく考えてみると、好きな一次創作のギャグ漫画や小説もギャグだけで成り立っているのではなくシリアス要素や人情ものの側面があることに気が付きました。 「人の心に残る」「何度も読み返したいと思える」という、長続きする作品への愛着を考えたとき、笑いは感動や悲しみと比べて弱い感情なのでしょうか。 もちろん笑える作品にも何度も読み返したくなるものはありますし、ギャグ作品が劣っていると言いたいわけではありません。 ただ、「面白かった」と思った作品よりも「泣いた」「胸が締め付けられた」「考えさせられた」と思った作品の方が時間が経ってからも強く記憶に残りやすいように感じます。 笑いはその瞬間の感情としては強くても、感動や悲しみほど長く心に残りにくいものなのでしょうか。 それともこれは単純にトピ主個人の好みで「笑い」そのものが弱いのではなく、長く心に残るギャグ作品にまだ出会えていないだけなのでしょうか。 皆さんはどう思いますか。「笑えるから好きだった作品」と「心に残った作品」は一致しますか? また、ギャグを主軸にした何年経っても忘れられない作品がある方はその理由も聞いてみたいです。
フレネミーってこと?
仲良くしているつもりだったですけど結構下げられてますよね…? これが噂のフレネミー…
自我垢でXはそこそこなのにpixivが伸びないのどうなの、みたいなことをAさんが呟いていました Aさん通話が終わってからも一人でトピ主様の為に伸びる伸びないことを真剣に考えてくださっているんですね ウザいですね そんなこと、呟いてる方がどうなの、と思いますけど 回答ですが自分はpixivは倉庫に使っているだけなのでA子さんのようにpixivの数字はいちいち気にしていません 自分はpixiv開く頻度少ないし見ないので
似た感じの使い方をされている人からの意見助かります 追記ですがこの質問の後にAさんから伸ばし方のアドバイスされて余計なお世話だなーって思いました
二次創作のくせに数字ばっかり意識してる人は相互フォロー切ります。数字のために推しを描いてるわけじゃないので。 百歩譲って数字の話するのはまあ許容できるとしても「あ、この人数字ばっかり気にして推しへの愛情は二の次なんだ」と思った時点で切ります。思想が違いすぎる 数字気にしちゃう気持ちは分からなくはないですが、なんか、下品じゃないですか?収入の話する感じに近いというか。普通思ってても言わない話だと私は思っているので、その話をする時点で下品。または数字の話をするとどういう印象を周りに与えるか考えられない馬鹿なので。そんな人と相互フォローでいたくないし関わりたくないです。
質問の答えになってませんでした。 私は、Xのフォロワー数は開いた瞬間目に入ってしまうので大雑把には覚えてるんですけど、支部のフォロワー数は見てないので分からないです。
感じ悪い人だね〜 自分なら付き合い考えるかな… 数字はある程度意識はするけど、「この作品はいいねの割にフォロワー増えたな?」とか「軽い気持ちで載せた割に力作より伸びた…」とか自分と比較した時の分析が主かな 他の人と比べるのは意味ないし、歴とかバズとかで実力とは関係ないし
支部フォロワーは連載もの描いてたり投稿頻度が高かったりしないと伸びにくいよ ブクマしとけばフォローしなくても事足りるし あなたのフォロワーはXでリアルタイムに情報追いたい人が多いんだろうね 付き合う相手は間違えてると思う 追及されたら言い逃れできる程度の嫌味っぽい書き方がまさにフレネミー仕草ってかんじ
>一方私はサークル参加をし始めてからpixivは新刊サンプルやWEB再録メインの運用だった これじゃん 普段pixiv動いてないなら当然閲覧数も下がるからフォローされるタイミング減る なお、作品は良いけどXの発言がうざい人はXはフォローせずpixivだけ見ることもある