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少し落ち込んでしまったので、他の方の意見を聞きたくて投稿します。 自分は持病があり人混みの中で長時間立ち続けるのがかなり辛いため、普段からヘルプマークを付けて生活しています。 通勤時なども常に付けており、ありがたいことに親切な方が席を譲ってくださることもあります。 先日イベント会場へ公共交通機関で向かった際にもヘルプマークを付けていたのですがその時に席を譲っていただいたことへの感謝を日常ポストとして書いたところ、匿名箱に 「イベントに行くのにヘルプマークを付けて来るな」 「そもそもヘルプマークが必要な人はイベントに来るべきじゃない」 といった内容のメッセージが複数届きました。 普段から持病で苦労している中でイベントに参加する自由まで否定されているように感じてしまい、かなり悲しかったです。 もちろん周囲に迷惑をかけないよう気を付けるべきなのは前提だと思っています。 ただ、ヘルプマークを付けて公共交通機関を利用したりイベントに参加すること自体がそんなに非常識なことなのでしょうか? 私が知らないだけで、ヘルプマークを付けるような持病を持つ方は基本的にオフイベント参加しないのが普通ですか? また、普段ヘルプマークを付けて通勤・外出されている方がいれば、 ・イベント時はどうしているか ・何か配慮していることがあるか なども聞いてみたいです。 感情的な叩きではなく、率直な意見や経験談を伺えたらありがたいです。
ちなみに質問主は。 1、内面描写がずっと続いて、場面が全く動かない 2、全ての行動を描写してしまう。やたらと調理シーンが長い 私の書いてる話が正にこれです。 神の作品も一日の描写と過去回想に四万字割かれていたり、お料理描写もあったのですが、私の文とは決定的に何かが違います。
丁寧な心理描写はその心理になるメカニズム、因果がちゃんとしているものだと思う 突発的な衝動だったとしてもトリガーが明確だったり、それまでに描かれた関係や事象によってどうしてその心境になったのかが無理なく積み上がっているもの それを積み上げる過程であれば読みやすいと思う というのも、物語って基本的には状態Aが状態Bになるまでの過程だから(結論やっぱりAだねってこともあるけどその結論Aは状態Aではなく結論Aを出せたA'なので区別してほしい)(時間の流れが逆な場合もあるからBが先にあることもある) その状態Bになるまでの過程であれば意味のある心理描写だと思う むしろカプ物ならそれが主題の話もあるだろう 長ったらしいポエムはそれがあってもなくても状態Bにあまり関係しない要素 あるいは無意味な遠回りをさせる要素 そういうものは冗長に思う 長いお料理シーンであれば、ただ手順を書くのでなくそのキャラが調理をする中で調理をトリガーに相手の行動や匂いや仕草を思い出すだとか、その思い出した内容が次の心理状態および状態Bへのステップになっているなら読者は「動いた」感を得られる……と、思うけどどうかな?
1. 「ポエム小説」とは キャラの心の声のみで構成されている。 読者の五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)とリンクする表現が含まれていない。または視覚のみだったりして著しく偏りがある。地の文にも会話にもストーリーの推進力がない。例えば大雨の中でキャラが立ち尽くしてただ悩んでいるだけで文字数が増えている状態。移動したり、時間が経って雨がやんだり、誰かが傘を差し出してくれたり、そういう進展がなく足踏みしている状態になりがち。 「丁寧な心理描写」とは 上記の真逆、つまりキャラの考えてること、感じていることが読者の五感に豊かにリンクする。地の文と会話に動きがあって、必ずストーリーの推進力になっている。 2. 「必要な描写」と「ただ冗長な描写」の境界線 同じ内容を何度も書かない。簡単なように見えるけど、言葉を削ぎ落として中身を濃くする技術が必要。語彙力が問われる。 たとえば以下の文↓ 「朝、目覚めて枕元の時計を見ると8時30分だった。乗るべき電車は8時45分発だ。遅刻する。急がないと間に合わない」 要するに朝寝坊した、やばいってことしか書いていない。文字数を無駄に使っている。 自分が直すならこうする↓ 「朝、目覚めて枕元の時計を見ると8時30分だった。乗るべき電車は8時45分発だ。私は息をのんでベッドから飛び出した」 ほんの少しの差だけど、上の文より早めにベッドから飛び出したのわかるかな?この差が積み重なると作品全体が引き締まってくる。
ごめん、2は前者の朝の焦りのほうがリズミカルで端的で好き 要するに描写された意味が同じなら後は文体の好みだけだと思う だからトピ主さんには魅力的だった相手の文章も別の人にはポエム小説でしかなかったわけで、その好みの違いの差を楽しむのもいいんじゃないかな
私なら、そもそもその朝の描写が必要だと思えないので全部削るけど、どうしても必要なら 「遅刻しそうになって走る朝、私は1匹の犬に出会った。」みたいにするかな (犬に出会う話だと仮定) 10コメさんの言うように好みの差もあるとは思う 私は遅刻について時間まで描写する必要性を感じないのでコメ主さんの描写は冗長に感じるけれど、物語の内容によると思っています 犬と出会う話なら時間の描写は冗長になるけれど(個人の感覚です)、例えば時間が鍵になってくるミステリーなら、むしろ絶対に描写する必要があると思う なので、やはり「物語にとって」必要か不要かによるかなと
1.「ナルシシズム」と「分析と感性」 2.「客観性」 書く人が身に付けた教養や感性によって、ただ必要な描写を書くだけで自然と素晴らしい描写になっていくもんじゃないかなー そしてどんなに身に付けたとしても書き手が文章に酔いだすと、とたんに不必要なポエムが混じりはじめる あとはそれぞれの好みかな 冗長かどうかの判別方法は、客観的に作品の流れやキャラの心情を見られるように、友人にアドバイスを求めるとか一旦作品から離れて頭をリフレッシュさせるとかしか思いつかないな
1の違いも2の境界線も読み手の感性で変わるからなぁ 村◯春樹とかポエミーだし冗長の極みだけど好きな人は好きだし 書き手さえそれを必要な描写と思えばその作品にとってはそれで正解なんだと思うよ 万人に好かれる文章なんてないんだから
1.場面が全く動かない、(読者にとって)新しい情報がない 読む文字数が増えるというコストを読者に課してるだけになるから。 2.その文章を抜いても読解に支障がないor文字数をぐっと短縮できるなら「ただ冗長な描写」の可能性が高いと思う 本筋に必要ない情報でもキャラの性格を印象付けるとか意義があるなら入れるべき。その意図がなくただ自分が書きたい文章なら冗長なだけになってる可能性は高いと思う。
好みと偏見が混ざってる前提で 1. ・「ポエム小説」→感情を羅列してるだけで動きがない 漫画のふわふわ吹き出しに入ってそうな言葉のみが書かれてる 「つらい。さみしい。かなしい」 行動をしっかり書いた上で単語を入れるならアクセントになるけど、これだけが数行~数十行にわたってだらだら書かれていて、さらに感情の動きがまったく見えないとポエム小説という感じ 一瞬の感情をひたすら引き延ばしているイメージ ・「丁寧な心理描写」→感情に動きがある 上と同じく数十行にわたって書かれた感情の羅列であっても「つらい~かなしい」と一緒に思考を巡らせている描写(どうして辛いのか、悲しみを感じたあとに何を考えるのか、その結果どのような感情に落ち着くのか)があるなら、感情の羅列に意味を持たせられていると受け取ることができると思う でも多分好み 「つらぃ。。。さみしぃ。。。かなしぃ。。。」だったらポエム!!!って思ってしまうけど「辛い、寂しい、悲しい……」ならそこまで引っかからないので 2. 必要と冗長の境界線は「好み」 ポエム小説はここだとあまり好かれないけど、それでもたくさん作品が出ているのはポエム小説を読むのが好きな人、書くのが好きな人がいるから そういう人にとってポエミーな表現は「必要な描写」のうちに入る 極端な話、地の文を飛ばしてセリフだけでなんとなく話を読んでいる人もいるから、そういう人にとってはどんなに洗練された文章も長ったらしくて不要な描写になる 文章の意味を正しく伝える努力だけは絶対に必要だと思ってるけど、それ以外は個性と好みの範囲だと思ってる 例えに出して申し訳ないけど、3コメさんの添削前の文章は慌ててる感があって結構好きなので(添削後は無駄がなくて好きです) 自分の文章を冗長だと思うなら、自分好みの文章を分析して真似てみるのがいいと思う
1. ポエムと心理描写の違い 行動や反応が伴っているかどうか。感情から何かしらの反応(身体反応や選択など)が起こり、そこからまた感情が生まれる。この連鎖があればポエムとは思わない 2. 必要な描写と冗長な描写の境界線 ここも同じで、感情と反応が連鎖していれば冗長とは感じない。描写がうまく繋がらなくて流れがぶつ切りだと冗長に感じるかな キャラクターの感情は物語内で常に流れ続けてるから、そこを途切れさせないことが肝だと思う
多分だけど、読み手の読書量と読んでるジャンルでそこは線引きされると思う 無意識にでも意識的にでも、比較対象が普段読んでる本より下か否かで「冗長」「丁寧な心理描写」が読み手によっと分かれるんじゃないかな。だから明確な線引きって中々難しい 有り体に言えば、普段あまり小説を読まない層がとっつきやすくてスラスラ読める文体、テンポでも、重厚な小説を好む層には刺さらないし「下手」「ひっかかる」読み物になったりするし 反対に重厚で緻密な表現を好む層が好きな文体やテンポでも、あまり本を読まない層には「小難しく書きすぎ」「冗長」と感じる読み物になったりする どちらがより優れているとかじゃなくて、厳密にはミステリー大好きな人が物足りないと思っても普段ミステリーを読まない人からしたら「この人天才!」っていう衝撃の1冊になったりすることもあるから 「冗長」「丁寧な心理描写」の線引きは敢えて考えなくてもいいんじゃないかなって思った。もちろん、明確な上手さ=プロだろうから、プロをお手本にして書けば技術的な側面は成長するんだろうけど、だからって売れるわけじゃないからね。売れるのは「わかりやすい」「更新が早い」みたいなものだったりすることもあるし 結局、自分が好む文体で、自分が好きなように書くしか正解ってないような気がするよ。人によって意見が分かれるんじゃ、意見が異なるのは仕方ないと割り切る事も大切だと思う
ポエム→キャラがこう考えてる、とストレートに伝えもせず、ダラダラと横道にそれながら結論を出す 心理描写→なにげない場面 鍵が鍵穴に一回で上手く刺さらなかったことで動揺を表すとか、そういうのが心理描写で地の文にさりげなく忍ばされるので、読者もぼーっと読まずに読解力を求められるものが心理描写
文字を読む楽しみよりも展開をとにかく追いたいだけの人はどんな内容でも長ければ冗長だと感じがちではあるので、人によるというのは前提として 1.自分はその細かい描写が話の展開や登場人物の心情を表すのに効いてくるかどうか?が違いだと思う 2.例えば天気の描写ひとつにしても、『ラブラブのABの間にトラブルが起きて一波乱』みたいなストーリーのラブラブシーンの背景に嵐の前触れを感じさせる描写入っていると意味を感じるけど 特に理由なくただただ美しい言葉で装飾した雨がしとしと降る風景が羅列されてるとかだとポエムだなと思う
横ごめん 2で書き手に意図があったとしても読み手の知能が追いついてなければ冗長になるパターンもある わかるように書けない方が悪いのか、読み解けない方が悪いのかは難しいとこだよね
おおむねトピ文に同意なんですが、その書き手の人はマイナーカプ推しオンリーワンということなので、その人の友達や添削サービスでそういうコメントがあったのかも?と思った そのキャラ好きな人にはなんぼあってもいいですからね、な作風でトピ主には凄くフィットしたけど客観的に見たらまた違う評価になることはありそう
1. 「ポエム小説」と「丁寧な心理描写」の違い ポエムは形式としては単語ぶつ切り・ててて構文・行間スカスカ、内容はキャラやシチュに陶酔した作者の吐き出し 丁寧な心理描写はある程度複雑で背景や奥行きのあるキャラの感情・心理が文章で表現されている 違いというか元から別物、なぜこの二つを並列したのか不明 2. 「必要な描写」と「ただ冗長な描写」の境界線 自分で書いてる通り「必要」かそうでないか →何にとって必要か? →作品にとって よって作品全体を見ずに境界線が引けるものではない 問いの立て方が二つともちょっとおかしいよね
長い心理描写が冗長に感じない理由はいくつかありそう 神の作品に関しては先に言われてるかもだけど、オンリーワンのそれしかない需要で読めてしまったか、神が巧妙にキャラの心の動きに合わせた計算し尽くされた文章にしていたか あとこれも先に言われてるけど読み手の状況にも依存する 工夫された文が読みやすいのは当然だけど、どれだけ長くても好きだと思いながらだと読めてしまうし、読み手が本を読み慣れてる活字好きなら大抵の活字は読めてしまうから
これはとても簡単で、ただ単に読んでる側が気に食わないと勝手に思ったもの→ポエム小説、読んでる側が気に入ったもの→丁寧な心理描写、だよ 読んでる側が女ならその率が100% 同人女は自分の気に食わないものはなんでも勝手にレッテル貼りしてdisるの大好きだからね トピ主もあまり深く考えない方がいいと思うよ アテクシの気に食わないものは全部ポエム小説!な奴しかいないから