推しCPの最適解のような作品を読んでしまったことで、自分の筆が止まってしまい、…
悩んでいます。 字書きです。 推しCPが原作で実質離別状態になっているのが悲しく、救いを求めて推しCPの小説を書いていました。 原作で苦しいからこそ、創作の中では2人が再会してずっと一緒にいてほしいと心から願っています。 しかし、昨晩推しCPが最終的に離別してしまうも、あまりにもキャラ解釈が素晴らしい二次創作に出会ってしまい、自分が何を書けばいいかわからなくなってしまいました。 書きたい推しCPのお話はたくさんあるし、何より2人が一緒にいる未来を望んでいるはずなのに、自分の解釈が薄っぺらく思えてしまって辛いです。 また、作品を読んでからずっと推しCPのことしか考えられなくなり(それも悪い方向に)、実生活に支障をきたしているのもよくないです。 似たような状況になった方がいれば、どう乗り越えたか教えてください。 私個人としては、以前のように二次創作ができるようになりたいです。
小説読み慣れているのに一人称が多い理由が解らないってのはよく分からないなーと思いつつ釣られてみる そもそもライトノベルの前身が角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫、電撃文庫辺りのファンタジー小説群なんだけど(異世界なんちゃらとかなろうの隆盛はもっと後)当時はTRPGやコンピューターRPGの流行があってリプレイ小説なんかも多く刊行されていた D&Dやソードワールドあたり これが今の「ナーロッパ」の下敷きなわけだ 国産ファンタジーの金字塔であるロー○ス島戦記なんかもその文脈上にある で、そこにドラ○エあたりのコンピューターRPGからファンタジーに入った人たちが流入する ファンタジー小説、ライトノベルの主人公たちが「冒険者」であることが多いのもそれが理由 つまり、国産の少年向けファンタジー小説群はその源流からしてゲームと不可分なんだ だからラノベというのはRPGの文脈上にある以上、プレイヤー視点と親和性が高い これは読み手の属性でもあるし、そもそも書き手の属性でもある プレイヤー視点=主人公となるので一人称作品に没入感を覚える人が多い それでも初期は三人称、神視点が主流ではあったんだけどコンピューターRPGファンの流入、あるいは作者側にゲーム愛好者が増えて一人称が増えていったんだと思う この部分は推測だけど、作り手と読み手の嗜好が合えば売上につながる だから一人称が増えていったんだと思うよ
商業ラノベを出したことがある者です ライトノベルはとにかく主人公に感情移入できるかどうかを重視しているため、一人称が多くなる傾向にあります 児童文庫を書いていたときも同じようなことを言われたので、エンタメ特化の作品はいかに主人公と読者の目線や感情をリンクさせるかを大切にしているのかもしれません もちろん神視点や一元視点の作品もありますが、それらはそうする理由があるから選ばれています 例えば世界観重視の作風だから色んなところにカメラを向けて描写したいから神視点にする、などです また、そう言った理由のないものは大体一人称で書かれることになります 感情移入させたいなどの理由があって選ばれた一人称と、他の視点にする理由がないから選ばれた一人称があるので結果的に他より多くなります 身も蓋もないことを言ってしまうと、右に倣えで一人称が多いから一人称で書いておくか…という人もいると思いますね
例えばカドカワなら様々な文庫本のレーベルがあって、硬派な作風は単行本で出したり、ネット小説発の「新文芸」で出したりしてますよね 広く見ると文庫本レーベル以外もラノベだけど、多分トピ主が言っているのは文庫本レーベルのこと 対象年齢が10代(※レーベルの方向性として)なので、少々物足りないように感じてしまうのは対象年齢じゃないからかと